世界を旅する“窓”としてのインターネット

“窓”の話

漫画「ドラえもん」の一編に「あの窓にさようなら」という回がある。足を怪我して家で退屈しているのび太のために、ドラえもんがひみつ道具を使って部屋の窓から見える景色を色々な場所からの光景に変えて楽しませる、という話だ。とても良い読了感を持つ回なので、機会があればぜひ読んでみてほしい。

さて、上述した「ドラえもん」の一編で表されているように、窓というのは内から外の世界を望む装置となっている。が、日常生活でそれを意識することはあまり無いように思われる。というのも、当然のことながらふつう窓から見える光景は窓ごとに決まっているため、内と一緒に固定化された一種の絵画のようになってしまっているからだ。
だが、筆者にとっては窓の「外の世界を望む装置」という意味はよく受け入れられる。というのも筆者は鉄道オタクであり旅行趣味者であり、つまりは「車窓」というものに深い印象を持っているためだ。鉄道旅行(鉄道でなくても良いが)をしている最中、車窓は見知らぬ世界を目まぐるしく望ませてくれる。可動性を持った動的な“窓”から外の世界を眺めるということは、ある意味における「旅」に該当すると言える。

「モンダイナイトリッパー!」のMV

ここからが本題だが、先般、名取さなの新曲「モンダイナイトリッパー!」のMVが公開された。

世界旅行がテーマの楽曲でありMVであることが窺えるが、内容はそう単純ではない。
「世界旅行」を描写するMVの映像を彼女自身がスマートフォンの画面を介して見ている、と取れる一種メタ的な演出がところどころある。実は、“バーチャルサナトリウム”で暮らす彼女は原則的に外出し難い日々を送っており、すなわちこの歌やMVで表現されているのは実際の世界旅行とは限らない、という示唆が存在する(歌詞もそのようなものとなっている)。
ではこのMVで描かれている「世界旅行」とは何なのか。映像を改めて注視するまでもなく、そこにはPCのウィンドウやSNSのUI、Googleマップのようなマップピンやアイコンが度々登場する。言わずもがな、これはインターネットを通じて世界を巡るバーチャルな「旅」であると解釈することができよう。そしてその意味において、インターネットは外の世界を望ませてくれる動的な“窓”となっている。
インターネットを窓に喩えるのは多分にWindowsにかけた洒落でもあるのだが、冒頭に述べた“窓”の話を踏まえてもらえればその真意を理解していただけると思う。なお、「モンダイナイトリッパー!」のMVにおいてバーチャルとリアルを結ぶインターネットという“窓”は、内から外の世界を望む装置としてだけではなく、“夢”と“現”を繋ぎ超えさせるものとしても描かれていると受け取れるのだが、その解説については「名取さな」というコンテンツの説明から始めねばならないし本題からも逸れるので、ここでは敢えて割愛させていただく。

インターネットの“窓”機能

ではインターネットが“窓”とは一体どういうことか。
インターネットの話でバーチャルとリアルという単語を使うと、たいていの場合インターネットはバーチャルの方と結び付けられる印象がある。しかし本当にそうだろうか?
「モンダイナイトリッパー!」MV制作者の一人である映像クリエイターの大橋史氏は、本MVについてこのようなツイートをしている。

リンクの記事を参照したとき、筆者の脳裏にまずよぎったのはgroup_inouの楽曲「EYE」(2015年)のMVであった。

3者に共通するのは、Googleマップ/GoogleEarthというモチーフだ。「モンダイナイトリッパー!」MVではマップピンやマップアイコンが多用され、ベルリンのアーティストアラム・バートルはマップピンやストリートビューを撮影するGoogleカーを模したアートプロジェクトを行い、「EYE」MVはストリートビュー自体を映像作品に昇華させている。そして大橋氏が指摘しているように、後2者はいずれも2010年代、すなわちGoogleEarth(2005年提供開始、2010年Googleマップ上で閲覧可能化)やストリートビュー(2007年米国、2008年日本国内について提供開始、数年かけて提供エリア拡大)の社会実装が人口に膾炙してきた時期に制作されたものであることが注目に値する。

筆者はストリートビューが実装されたときの衝撃を今でも鮮明に覚えている。PCに表示されたインターネットブラウザからすぐ近所の生活圏の眺めを見ることができた(サービス開始当初は大都市部や幹線道路に限られていたが)。少しすると、家の前の道路から見た自宅の光景―毎日目にしている日常風景さえもインターネットからアクセスできるようになっていた。
それまでのインターネットはサーバー上にあるデータを閲覧する、言うなればリアルからバーチャルを見る構造のものでしかなかった。もちろん当時から生身の人と交流できる掲示板やSNSはあったが、コアな層が利用しているのみで「インターネット的」なものであることには変わらなかった。しかしストリートビューの社会実装によって、インターネットの“向こう側”が鮮やかにリアル世界に接続された。「リアルからインターネットを見る」ではなく「インターネットからリアルを見る」という構造が実現した。これがいかにエポックメイキングな出来事で、かつ人々に静かな衝撃を与えたかは想像に難くないだろう。それが故にストリートビューを含むGoogleマップ/GoogleEarthは象徴的にクリエイションの対象として扱われ、当時のインターネット文化に足跡を残したのだと考えられる。そして同時に、「インターネットからリアルを見る」構造の実現によって、インターネットは「内から外の(リアルな)世界を望む装置」すなわち“窓”としての機能を獲得したのである。

“窓”という「旅」のツールとなったインターネットと、その恩恵を受ける我々

インターネットは内から外の世界を望む装置=“窓”という機能を手に入れた。それもただの“窓”ではない。自由自在に色々な光景を望むことのできる、非常に動的な“窓”だ。先述した「EYE」MVは、その動的な“窓”という機能を最大限に生かして「世界旅行」して見せた極致的な一例と言えよう。

そう、「世界旅行」。「モンダイナイトリッパー!」でもテーマとなっていた概念だ。ただこの作品が「EYE」MVと異なるのは、「EYE」MVはインターネットの“窓”機能を利用して「世界旅行」したのに対し、「モンダイナイトリッパー!」MVはウィンドウやマップピンを多用した演出によって、「世界旅行」を描くと同時にそれを可能としている「インターネットの“窓”機能」そのものをメタ的に示して見せた点だ。このような内容になっているのはひとえに「名取さな」というコンテンツにおけるインターネットという概念そのものの存在感が由来だと思われるが、しかし「インターネットの“窓”機能」をメタ的に俯瞰して把握することは我々にとって有意義なことでもある。

2020年初頭より世界中を襲った未曾有のパンデミック。本記事執筆中の2022年春頃になってようやく出口が見え始めた雰囲気があるが、この2年間は外出制限・自粛を強いられる大変なものであった。そんな中で、我々を精神的に支えた一つの大きな存在が、外の世界を望める“窓”としてのインターネットではなかっただろうか。
我々が外に出られない間、すなわち肉眼で外の世界を「旅」できない間、インターネットという“窓”はその向こう側に多くの外の世界を望ませてくれた。休園中の動物園は生配信で動物たちの様子を伝え、アーティストは自宅から歌声を届けた。ストリートビュー以来インターネットは、“向こう側”に接続できるリアル世界の領域を爆発的に拡げていたのだ(特にSNSの普及やYouTubeの拡充による「人」との接続が際立っていよう)。名取さなはインターネットという“窓”によってバーチャルからリアルを望む「旅」が出来たわけだが、我々もまたインターネットという“窓”によってリアルからリアルを望む「旅」が出来たのだ。これはとても幸福なことであったように思われる。
思考実験として、もしストリートビューが実装される前、SNSやYouTubeが人口に膾炙する前…つまりはインターネットの“向こう側”がリアルに接続されて“窓”機能を獲得する前に、このパンデミックに突入していたら、我々は今日までやってこれただろうか?外の世界と接する術を全て失った我々は、自暴自棄になったか、あるいは薄暗い病室生活のように閉じこもり塞ぎ込んでしまったのではないか(かつての誰かのように)。我々がそうならずに済んだのは、インターネットという外の世界を望める“窓”を我々がその手に有していたからだと、筆者は考える。

「旅」の本質的意味と我々の生

ここまでインターネットの“窓”機能と、それによって得られる「旅」について話してきた。実のところこの記事の執筆動機は「モンダイナイトリッパー!」の感想が書きたかったというだけなので特に伝えたいメッセージがあるわけでもないのだが、せっかくなので最後にまとめをしておこう。

人は「旅」をせずにいられない生き物だと思う。ここで言う「旅」とは実際の旅行のことだけでなく、自らが身を置く「内の世界」以外の「外の世界」を望みに行く営み―当然インターネットを通じた様々な活動を含む―を指す。そうして自分の知らない知識や体験を得ようとすることは、好奇心溢れる知的生命体である人間の根源的な欲求だと筆者は思う。そしてそのような営みを日々繰り返すことで、我々は人間らしく生き生きと生きていくことができるのだ。
そんな必須栄養素である「旅」という営みに対して、外の世界を望ませてくれる“窓”となった現代のインターネットはきわめて強力に有用なツールだ。手のひらに収まる一枚の“窓”から、我々は世界中を旅することができる。知らず知らずのうちに享受してきたその恩恵をいま改めて認識することは、ひいては「旅」という我々の生の営みを見つめなおし、意識的で主体的でより有意義な=“丁寧な”生に繋がっていくはずだ。あのような社会情勢と空虚な時間を経た我々は、だからこそ限りある人生を充実したものにしたいという思いを比較的強く持っているのではないだろうか。その実現のために、あなたの手の中にある「世界を旅する“窓”」は計り知れない価値と意味を持っている。


2022/06/14 追記・修正
本記事で取り上げさせていただいた「モンダイナイトリッパー!」MV制作者の一人である映像クリエイターの大橋史氏が、自身のHPで本作について解説しています。

背景となるインターネット論や「名取さな」の概略に加え、演出や描写の仔細な技術的解説もなされています。ぜひご覧ください。


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