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碌な夜

みさくぼ『碌な夜がいねえ』
本日より24日まで上演します。

ネタバレとかはないですが、読んでて気持ちのいい文章でもないかもしれませんので、一旦注意書きです。無料で最後まで読めます。五百円はカンパの気持ちがいただけた場合のためのものです。


一回自分の感覚を捨ててみよう、まずは物語を捨ててみよう、とおもって演劇をはじめてみて、稽古をして心配になって、物語にもう一度立ち戻ってみて、中途半端な稽古場になり、やっぱりテキストを書き直して、でも「物語」と今までの「経験」という補助線がない状態で、フィードバックも満足にできない、何を頼りに作品を形にしたらいいかわからない、という状態がしばらく続きました。

劇団晴天という場所で物語を書いていることが多かったです。
基本すべて会話劇、舞台セットはほぼ変わらず。部屋の話が大部分をしめている。数十本の物語を書いたとして、モノローグがある演劇は2,3作品。セットが動く芝居も同じくらい。ファンタジーが2本。あまり人間を多く出せなくて、最大で12人。現代口語とはいえ少し演劇がかった中でも信じられるようなリアリティの線を演出で引いて。プロジェクター使わない。抽象的なことはあまりやらない。一番最初はお金がなくて、ビールケースを三十個くらい見立てで使ったり、劇場備品のスチールデッキで大きな舞台を立てたりしてましたが、次第に具体的な小道具と家具で表現をするようになり、演劇を「する」から物語を「書く」という考えになっていきました。
内容は…旗揚げ公演は自分が住んでいた水窪という町と浜松を繋ぐバスの運転手の話、20歳のとき。生まれた頃から限界集落だったので、その話を。2作品目が売春の話。最近やったのは・・・介護疲れで親を殺そうとする話とか。女装とか、自分らしさの話など。なにがしかの社会的な問題の中で動く人間と人間関係について。最初は「社会問題を『使う』」なんて言いながらコントと演劇の合いの子みたいなことをやってたんですが、だんだんとそんなことも言えなくなり、そしてどんどん言葉を削っていきたくなり、最近は物語をできるだけ頑張って書くという方向にシフトしていって、
できるだけきれいな円の物語を、尖りを削っていって、研いで研いで・・・みたいなことを、やろうとしている団体でした。一人劇団時代が長くって、2年前くらいから団体になりました。なんていうか、ほんとうに割とまともな方向の演劇をやっていたし、若手にあんまりいない作風だと思ってそこが逆に狙い目だと思ってやっていたところもありました。

物語、が好きだったのは、昔から物語が好きで、本の虫だったころもあり、今は漫画が好きで、フィクションの世界が好きなんですね、基本的に。

私の本が遅いことからはじまって劇団公演がなくなり、ひとりと劇場が残ったのが今年の夏のことでした。(この話はこの話で長くなるので、別で書きます。)6月の公演「捨て身のハンサム」のとき、も台本が遅くて、そして私を含めて多くの人がやっていることの良さをわからないままやっていたように思います。だから自分で自分の良さをちゃんとわからにゃならんのだ、と思いました。

自分のことを幼いと思っています。
自分を置き去りにして環境だけが進んでいるような気がしてしまって。さらに30歳になってしまって。立場も少しずつついてきてしまって。そんなことも言えなくなってしまって。下手な作品を作れない気持ちになってきてしまって。当たり前なんですけどね。当たり前のことに文句を言ってそれっぽく見せるのが自分の幼さなんだと思っています。

でも、幼い幼いって言ってたら、じゃあその、他で生きてるそういうことを考えている人たちはみんなそうなの?って話なんですよ。全然、なんでもいいんですそれは、幼さではなくて。考え方だから。

冒頭の手前くらいに戻ります。
最近、物語をつくることへの違和感が、消えないようになってきました。何かを纏めなければいけなかったり、目的と障害が必要だったり、魅力的な主人公がいたり。でもこれについて、23歳くらいの時にすでにそういうことをテーマにした「物語」を書いていたので、ずっと同じことを考えているんだなって思ったんですが、それが肥大してきている自覚がありました。
物語よりも事実の方がおかしすぎて。

でも「そんなことを考えていること」が恥ずかしい。ええ。現実とフィクションの境目がなくなってないですか?でも演劇って圧倒的に目の前に人間がいることは避けられないから、そう、漫画だったら素直に受け止められるんだけど、いや、でも漫画も最近、なにか世相を強く強く反映していて、みていられない物が増えたんですが、
そもそもこういう文章を書くことが、そもそも恥ですよね。
恥。恥を見せないように見せないようにしていた気がします。物語という作られた恥のなかでいたような。いじられキャラだったんですよね。なのに、最近めっきりいじられた記憶がねえな。愕然としますね。

それでも30歳になって、今こんな文章をnoteで書いているってことは、こんな文章をnoteで書いているポジションってことです。それなのに、何を気にすることがあろうか。そんな自分が30歳から40歳にかけて、40歳から50歳にかけて、創作を続けていくなかで、性癖が必要なんだと思ったんです。
じゃあ一体自分の性癖っていうのは一体なんなんだろうか。できるだけ言葉を削ることか?それとも皮肉を正面からみつめられることか。限界なシーンを笑えるように作ることだろうか?このまま今やっていることを続けて、ほんとうにすごくすごいものは作れるのか?いや?それは物語からの逃げではないだろうか?書くことの大変さから逃げてるのではないか?いや、そうだったとして。そうだったとしてこの違和感を持ったままずっと演劇をやるのか?いや。え?でも、改めてスタイルから見直すってことは、それって一体どういうことになるんだろうか?これあれじゃないですか、めちゃめちゃレベルの低い悩みなんじゃないのかな?違うだからそう「だったとして」

全ての論理が通ってるわけじゃないですが、
そんなこんなでこの演劇が生まれました。音の北さんに、今までやったことないことをやってみたいと伝えて、「空間」をつくることを目標として、「音を重ねる」をやってみることにして、イメージの中でキャストさんに声をかけて、(オーディション組にも説明と謝罪をして)、タロットカードを裏返すような試みをしてみることにしました。

上演に至るまでに、まあそもそも企画の段階から、無理です。と何回か思いました。いやまぁ、その前からずっとそうではあって、でも普通にやってられてるからそれは甘えだよまじでって話で。いや「甘えだったとして」ってことに至るまでにはだいぶ時間がかかりました。まじで。「そうなってはいけない」とは思いつつ、無理なものは無理だし、ずっと無理を続けて、なにが無理なのかもうわからないみたいな夜もたくさんありました。まじで。まじで下手なことをやるくらいだったら潔くやめちまってしまうのが正解なんじゃないだろうかと、夜のたびに思いました。稽古場で人に助けられました。正直な話です。

ちょっと前に、ある程度の全てが大丈夫になりました。なんか頭の中で、いろんな批判の声が、というか頭の中にいろんな批判する人が住んでるんですが、あんまりその人のことが気にならなくなりました。
「それも逃げでしょ」とか思いつきます。どう思われるかは置いておいて、でも自分で思いついている以外の批判的な意見が来ることはほとんどありません。思ったことあるもんそれ。

きっとこういうことを人に言わなくてもいいようにそのうちなるのかもしれ
ません。

なんで大丈夫になれたかというと、自分の中がもう少しはっきりしたからで、そして、周りの人たちのおかげとしか言いようがないです。これをこうやって言えるのも、これを言えるような気持ちに今なれているからで、それも俳優のおかげだったり、スタッフさんのおかげだったりします。
疲れてる時は、「こう言ったら『お前を大丈夫にするためにやってんじゃねえんだよ』みたいなこと誰かに思われるかな・・・」とかそういう思考になります。えぐいです自意識が。

自分に必要なことをしたと思っています。
人が見てどう思うかはその人の体調とか好みとかによると思います。
眠くなるかもしれないのでよく寝てきてくれたらいいと思います。
お客さんと全てがうまく噛み合ったら、今まで感じたことない空間にいられます、そういう作品だと思います。
そう思ったから、今、大丈夫なので。
楽しく演劇やりたくて、お金をもらっている以上、人が関わっている以上、楽しいだけではいられなくて、自慰を見せるわけにはいかなくて、でもそういうのの先でやっぱり楽しく演劇をやるんだと思ってはじめて、今、とても楽しいです。もうほんとに勉強したい。知りたい。今後のことと残るであろうお金の問題に関してはまだ考えてませんが、ひとつ気楽に。

あきらかの状態の悪いプロデューサー・作演出とここまでやってきてくれたキャストの面々には頭が上がりません。スタッフのみなさまも頼りっきりで本当にありがとうございます。

昔は、『「誰かが思っていても言葉にできないこと」を言葉にすること』に意味があると思ってました。でもどんどんそういう言葉は削るようになってました。物語の中に大石晟雄は必要ないからです。今回は?今回はそこもルールにしてません。自分の中の演劇のルールを一回破るってことが、やっていけばやっていくほどなかなかできないから。
誰かにとって当たり前のことが私にとっての当たり前ではないし、あと順番に一個ずつやっていかないと見失うとか、そんな本当に、当たり前のことを少しずつ確認するような公演でした。今日の初日が素直に楽しみと言えます。言えることは言えることしかない。
テンミリオンって知ってますか?シフトアップネットは?
92年生まれ近辺の人たちは、もしかして同じ場所にいたかもしれませんね。
私は昔そこで詩を書いてました。あとコロナ禍で自宅ポエトリーリーディングフェスみたいなのに参加してました。やっぱりそれを黒歴史って言いたくなる恥ずかしさがまだありますが、言葉はわたしの性癖なので。

碌な夜がいねえと思いませんか。私は思います。


撮影:保坂萌

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