人生のレールの上を歩き過ぎていたら、踏み外し方がわからなくなってた
こんにちは、こんばんは、夏海です。
昨日、今一緒に働いている派遣のお姉様方とエスニックのお店でご飯を食べました。
そしたら2人とも、あの意味わからんヤムなんとか系の料理を、何が入ってるのかちゃんとわかりながら注文していくの。
もう私は全くついていけなかったわけです。
いろんな話をきいて
カナダで働いてたことや
岩場でパートナーと出会ったことや
ワーホリとか、それ系のいろんな手続きの話とか。
すごいなぁ、やってみたいなぁと思いつつ、
それと同じくらい頭をよぎった感情
うわぁ、めんどくさいな
海外で働く時住所がないから銀行口座つくれないけど口座がないから家契約できない、とか。
失業手当もらうには月2回は形式上ハロワに行かなくちゃいけない、とか。
最近少し興味があっただけに、そんなちっぽけな、頑張ればどうにかなりそうだけどちょっとめんどくさいことを聞いた途端、すごく億劫に感じて、別にやらなくてもいっかな、と思ってしまった。
なんでもできるよ、逆に今のうちだよ。
わかってる。
わかってるんだけど、一歩目が、でない。
思い返せば私はずっと、世間一般的に当たり前とされる道を歩いてきたわけです。
そしてその思考のベースは、
“親が私のことを誇れるか"だった気がする。
小・中は地元の公立を普通に卒業。
高校は1番行きたかったところではなかったけど、お前の成績なら推薦で入れるし入ったあと苦労しないよ、という中学教員の父の真っ当なアドバイスを受け入れ、市内2番目の進学校に進学。
高校のうちに1ヶ月ホームステイ。
一見ちょっと珍しい経歴だけど、
それすら、みんなが行ってたから。
数学がてんでダメだった私は国公立など早々に諦め、指定校推薦で大学受験。
これも1番行きたい学部ではなかったけど、大学名優先。名前は有名じゃないけど、調べればあぁ〜となるくらいの偏差値が出てくる大学に入学。
大学時代は単位をとりつつ、両親にこれだけはやってくれと言われた教員免許課程に苦しみ、部活も入り、バイトをした。
という生活が傍らになるくらい夢中になって取り組んでいた大学外の活動は、今考えても他じゃできない経験ができたので良し。
その分、遊んだり、旅行したり、海外行ったり、
自由な大学時代にしかできなそうで、その後の価値観変わりそうな経験は全部捨てた。
まぁもう一回やり直しても、同じ道選ぶと思うから後悔はない。
就活。
コロナ×社会人への期待のなさで全く頑張れなかったが
ひょんなことから今の会社に内定。
入社時期も選べたけど、普通に4月に入社。
大手に入りたかったわけではないけど、
両親からしても、娘の就職先の会社名を答えてすごいですねと言われるくらいの安心感はあるだろう。
訂正、その安心感は私も。
一緒に入社して同じ施設でスタートした同期は6人いたけど、みんなそこそこいろんな経歴があり、ストレート大卒23歳は私だけだった。
超びっくりした。
現在、まもなく2年目が普通に終了。
あぁ、なんて普通の人生。
両親とも教員の家に生まれて育った。
そう聞くと厳しく育てられるイメージがあるかもしれないけど、別にそんなことはない。
困ったのは大学時代にほぼ強制で教員免許取らなきゃいけなかったことくらいだし、それすら今は感謝してますもの。
両親は私のことを外で謙遜する人たちだったけど
自慢できる経歴があると、やっぱりちょっとだけ誇らしげな顔をしているのが、幼少期の私でもわかってた。
だから
親が喜んでくれるか、自慢できる娘になれるか
そこがなんとなく昔から判断基準になっていた気がする。
別におうちではポンコツなので、常にいい子でいるわけじゃなくてあくまでも外面ね。
それを選択していたのは自分なので、レール通りを歩いてしまっていることについて両親を責めるつもりは全くない。
でも、ちっぽけな予定不調和をめんどくさがってしまうくらいには、私の人生は予定通りが当たり前なんだよ、という、そんな気付き。
憧れるんだけどなぁ、自由奔放な生活。
ではまた。
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