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ないからあるの世界


 

 

感覚がクリアになってから、ふと考えたこと、悩んだことの答えがすぐやってくる。

 

 

それは友人とその娘ちゃんとの心温まる記事とか、カフェで横に座ったおじいさんと店員さんの会話からとか、本の中からとか。

 

 

今朝幼稚園に息子を送っていくと、何人かお友達のママが話しかけてくれた。昨日、今週末にある運動会の予行練習があった。

 

 

「○○ちゃん、めっちゃ走ってたよ、早かったよ」

 

 

「○○ちゃん、がんばってたよ、1週走り切ってたよ。」 

 

 

クラスに着くと担任の先生が、 
「○○ちゃん、1週走れました。お友達が並走してくれたら、スイッチ入るみたいで。本番もお友達に一緒に走ってもらってもいいですか?」

 

 

「ぜひぜひお願いします。」

 

 

クラス対抗だし、リレーの意味わからないだろし、途中気になることが目に入ったらそっちに行っちゃうだろし、迷惑かけるだろうなぁとちょっと気にしていた。

 

 

息子のできないとこばかり見ていた私。

 

 

でも他の人は、息子のできるとこ、できたとこを見てくれていた。

  

 

できないところはできる人が助けてくれるし、助けてもらったらいい。

 

 

息子のできないとこばかりを見ているということは、つまり自分に対しても同じことをしているということだ。


 

ないの世界ばかり見ているということ。

 

 

軽いショックと共に、ある世界の温かさに、カフェで一人ウルウル。

 

 


ある世界に意識を向けながら、週末まで息子と一緒にソーラン節の練習をしてみよう😊

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