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魔源郷 第18話「ブランデー」

 ドリンクシティ。
 旧世界にあった大都市の名前だ。
 そこはアトランティスの支配下にあった。
 そこにはいくつもの研究所があり、ムーの民を収容する巨大施設もあった。
 そこで、数々の残酷な実験が行われた。
 人間を魔物に変える実験。
 最も、その頃には「魔物」という言葉はなかった。
 ムーの民の霊力を利用して、人間と獣を融合させ、新たな人間を生み出す。
 それが実験の目的だった。
 その時代では、新たに創り出した人間を「超人」と呼んでいた。

 過去に遡る。
 それは、今から何百年も昔のこと。
 世界は、アトランティス帝国によって一つに統一されていた。
 アトランティスの都は、全てが白と黒の建物で統一されており、天を突くように鋭くそびえる、尖塔形の高いビルの群れが立ち並んでいた。自然物は何一つなく、まっすぐに伸びた街路を飾る木々さえも、人の手で創られたものであり、それら透明な木々は、夜になると、色とりどりのイルミネーションで光り輝く、人工の美術品であった。
 その力の源は、その時代を支配していた科学だった。
 物質的なものが何よりも貴ばれる時代だった。
 都に住む人々は、その恩恵のもとで、豊かな暮らしを謳歌していた。
 アトランティスの民は、都に住む者と、都の外に住む者とに区別されていた。それは、階級の差を示していた。高い地位にある者ほど、都の中心に住むことが出来る。貧しい者は、都から徹底的に排除され、アトランティスの辺境のある集落で生活していた。
 一方、アトランティスに対して、全く正反対の暮らしをしている、小さな島国があった。
 その名はムー。
 ムーの民は、何よりも精神的なものを重んじた。
 目に見えないもの。ムーでは、それは日常生活と一体化していた。
 人々は、毎日ムーの神々に祈りを捧げ、自然の木材や石で造った簡素な家で慎ましく暮らしていた。人々の性質は概して穏やかで、例えケンカをしても、それは大きな争いには至らず、すぐに和解出来た。特に大きな事件も争いもなく、人々は平穏に生活していた。
 国の各地には、神殿が建てられ、そこで神官たちが祈りを捧げていた。国の中央には、大きな神殿があり、その大神殿のある土地が聖地であり、ムーの神々の信仰の拠点であった。
 そして、ムーの民は超自然的な力を持っていた。
 その力は、修行によって身に付く。
 しかし、決して私利私欲に使ってはならないと、厳しく定められていた。
 アトランティスが、その力に目をつけるのは、もう少し後のことである。

 ムーの村。
「こらっ!またお前は!」
「へへーんだ!」
 金髪の少年は、悪戯っぽく舌を出して、からかうように、高い木の上で手を振っていた。
「ブランデー!そこから降りなさい!」
 少年の母親は、大声を出して叱った。
「いいよ。その代わり、力を使うからね。」
「駄目よ!それだけは!」
「だって、面白いんだもん。修行もしてないのに、すげーだろ。」
 少年は、木から飛び降りた。ふわふわと、空中に浮かぶようにして、ゆっくりと下降してきた。
 地上に着地すると、少年は、得意気に腰に手を当てた。
「バカ!」
 母親は、少年の頬をひっぱたこうとしたが、空中に逃げられた。
「見えるんだよ。次に何をしようとしてるのか。無駄だよ。僕には何もかもね。」
「全く…。」
 母親はため息をついて、家の中に入っていった。
「さすがに腹ペコだな。あんなに空を飛び回ったから。」
 少年も、家の中に入った。
 辺りは夕暮れになっていた。

 ある朝。
「いやだーー!!」
 ブランデーは、泣きながら目覚めた。
「どうしたの?」
 ブランデーは、母親に抱きついて、泣きじゃくった。
「…見たんだ。この村が…ここがなくなっちゃうんだよう!」
「…ただの夢よ。」
「違う!違う!このままじゃ、あいつらに…!」
 ブランデーは、泣き続けた。

「ブランデーは、どうしてあんなことを…。」
 ブランデーの父親が言った。
「夢を見たのよ。それが本当になるって、ブランデーは怯えていたけど…。」
「おかしな奴だ。どうして、あいつには、そんなことが起こるんだろう。あいつには、特別な力が生まれつき備わっている。何の修行もしていないというのに。…時折俺は、子供ながらあの子が、怖くなるんだ。」
「そんな言い方はやめて。」
「神殿から、ブランデーを本格的に修行させたいという申し出があった。いや、申し出じゃない。命令だ。」
「皆で、あの子を危険視しているのね…。」
「とにかく、あの子の力は今のうちに抑えておかないと、この先どうなるか分からない。」
「…。」
 母親は、黙って俯いた。

 それから数年後。
 柔らかい風が、ブランデーの長く伸びた金髪を撫でた。
 ブランデーは、海を見下ろせる崖の上に立っていた。
「向こうに、世界が広がっている…。」
 青く澄んだ目で、眼前に広がる海を見渡した。
「必ず、ここを出るんだ。」
 ブランデーの瞳は、希望に満ちて、きらきらと輝いていた。

 ある朝、一枚の紙がテーブルに置かれていた。
 それを手に取った母親は、ブランデーが旅に出たことを知った。
 「父さん、母さん、許してくれ。
  どうしても世界が見たいんだ。
  掟を破ることになるけど、僕はいつまでもムーに縛られていたくない。
  小さい頃、力を封じられたけど、まだ、残ってるんだ。
  それが災いをもたらすなら、僕はここから出て行った方がいいだろう。
  僕は、時々自分でも抑えられなくなるから。
  でも、旅に出るのは、単純に、冒険がしたいから。
  そして、世界を知ったとき、きっとこの村が一番最高だと思うだろう。
  また、帰ってくるよ。そのとき、ちゃんと罰を受けるから。」

 それから、時が経った…。
 暗い何もない部屋。
 窓すらなかった。
 そこに閉じ込められた者たちは、希望もなく虚ろな目をしていた。
「ブランデー。」
 黒髪に黒い瞳の青年が、口を開いた。
「お前の力で、何とかならないのか?」
「無理だ。何か不快な音が邪魔して、力を使えない。」
「しかしこのままでは、俺たちは明日にでも、化け物にされちまうか、殺される。」
「ジンジャー。大丈夫だ。いつかここを出られる。それまでの我慢だ。」
「化け物にされてからでは、遅すぎる!」
「だが、今のままではどうにもならないよ。じたばたしても、仕方がない。」
「冷静だな。俺は、化け物になることを考えただけで、寒気がする。殺された方がましかもな。」
「分かってたんだ。こうなることは。」
「未来の夢を見たのか?」
「ああ。聞きたい?」
「俺らは死ぬのか?」
「死なないよ。化け物にされる。バンパイアという化け物にね。」
「それは…一体どんな…。」
「姿はほとんど変わらない。どういう化け物かは、分からないけど。」
「姿が変わらないのに、化け物なのか?」
「そうらしいね。」
 ブランデーはにっこりと笑った。
「何故こんな状況で、お前は笑っていられるんだ?」
 呆れたように、ジンジャーは言った。
「泣いたって悲しくなるだけさ。笑っていれば、自然と気分が良くなるよ。ジンジャーも、そんな辛気臭い顔してないで、笑えよ。少なくとも、死なないんだから。どうなろうと、生きてさえいれば、どうにかなるんだ。」
 明るい笑顔で、ブランデーは言った。
「お前にはいつも救われるよ。」
 ジンジャーは、ブランデーを見て微笑んだ。
「ここを出たら、フィズを取り戻すんだ。フィズは生きている。必ず、僕が助け出してみせる。」
 ブランデーの青い瞳が輝いた。

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