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【映画レポ】子供は誰が育てるべきなのか|是枝裕和監督「ベイビー・ブローカー」

映画館で予告編を観た時から気になっていた「ベイビー・ブローカー」。
気になる映画というのはさっさと観に行かないといつの間にか公開が終わってしまうので、早速行ってきました。

なお、あらすじや一部設定についての説明はありますが、核心部分のネタバレはありませんので未鑑賞の方もご安心ください。



日本人監督による韓国映画

作品について語る前に、まずこの映画の立ち位置について解説しておかなければならない。

「ベイビー・ブローカー」は日本人が監督した韓国映画である。
通常、日本人スタッフによって制作された作品は日本映画とされ、日本と外国の共同制作であれば合作とされてきた。

しかし今作はオール韓国ロケ、俳優やスタッフもほぼ全てが韓国人だが、監督(と一部のスタッフ)のみが日本人。
つまり日本人監督が韓国へ行き、全編韓国語で制作した、ちょっと異例の映画なのだ。

監督の名は是枝裕和。

今更説明も要らないだろうが、「誰も知らない」「そして父になる」などで注目を集め、第71回カンヌ国際映画祭で「万引き家族」が最高栄誉のパルム・ドールを受賞した人物。
間違いなく現在の日本映画界をリードする監督だ。

では、なぜ彼は日本映画ではなく、あえて韓国映画を撮ったのか



現地スタッフにしか醸し出せない空気

上記インタビューの中で、是枝監督は「特定の国を舞台にして国外のスタッフが撮影しても、結局は現地の現状とかけ離れた作品になる」ことを憂えている。

いろいろな(海外の)役者さんから『こういう原作があるんだけれど、日本で撮れないだろうか』というオファーがたくさん来た。
でも正直、あまり魅力を感じなかった。
それはやはり、海外の人たちがイメージした日本というものから抜け出していないから。
それだったら言葉は分からないけれど、ちょっと頑張ってみて、彼らの生活圏内で映画を撮りたいなと思う。
だって、作品の中に映るのは僕じゃなくて、役者たちだから。

「キル・ビル」「ワイルド・スピードX3」など、日本を舞台に外国スタッフが撮影した映画というのは、日本人からするとツッコミどころ満載の仕上がりとなるのが常だ。(それが面白くもあるけど)

もしも日本人スタッフを引き連れて現地で映画を撮ったとしても、それは本当の韓国を映した作品にはならない
そう考えた是枝監督は、リアルな作品を撮るために韓国スタッフの中へ自ら飛び込んだのだ。



赤ちゃんポストの是非

前置きが長くなってしまって申し訳ない。
ようやく本題だ。

第92回アカデミー賞でオスカーを受賞したポン・ジュノ監督による「パラサイト」と同様、「ベイビー・ブローカー」は韓国の社会問題を切り取った作品

クリーニング店で働きながら借金に追われるサンヒョンと、児童養護施設で働くドンス。
二人は赤ちゃんポストに入れられる赤ん坊を勝手に保護し、「子供を欲する夫婦への養子縁組」という名の違法な人身売買をしていた。
ある日、自身の子供を赤ちゃんポストに入れた母親が現れ、一緒に赤ん坊の養父母探しの旅に出ることに。
そして人身売買の現場を押さえようと、それを追う女刑事二人…。

あらすじ

ジャンルとしてはロードムービーだが、演出の妙のおかげで退屈なシーンは一切ない。
適度に挟まれるユーモア、緊迫の暴力シーン、そして印象的なセリフ。

全く飽きずに観ることが出来た。
劇中、刑事のスジンがつぶやく一言がこの映画の問題提起のひとつだ。

「捨てるなら、産むな」

日本では熊本県にある慈恵病院が赤ちゃんポストを運営しており、年間10人程の赤ん坊が預けられる。
一方の韓国では、主に教会を中心に赤ちゃんポストが複数設置されており、年間200人もの赤ん坊が預けられているのだ。

単純に数で比較してはならない。
育児が困難なことにより子供を死亡させてしまうケースも加味すれば、韓国のほうがむしろ赤ちゃんポストによって救われている命は多いと言える。

「赤ちゃんポストがあるから母親が簡単に子供を捨てる」という風潮があるのは確かだ。
しかし本当にそうなのだろうか。
この映画はそれを探る2時間なのだ。



母親ひとりに責任を押し付ける異常性

当たり前のことだが、子供は男女の性行為によって生み出されるものであり、その責任は母親・父親に等しく課せられる。
しかし身体的行為として妊娠・出産するのは母親ひとりであり、その点では母親の意志や行動に胎児の行く末がかかることになるのだ。

虐待のニュースが出る度に「母親の責任」が大きくクローズアップされ、同居している彼氏は批判されても実の父親の責任は取り上げられない。
が、本質は「責任の所在」ではないと考える。

劇中でも「ワンオペ育児」について言及されているが、そもそも子供という繊細な命をたったひとりの人間で見守り育てること自体に無理があるのだ。

なにも「父親と母親が揃ってこそ」などと言うつもりは毛頭ない。
立派な父親が居たとしても結果的にワンオペ育児になっている母親はごまんといる。

シングルマザーに対して国が経済的援助をしたり、孤立している母親に福祉施設が相談に乗ることはもちろん必要だが。
子育てを親の責任にするのではなく「子供は社会全体で育てるもの」と考える意識改革が何よりも大切なのではないか。

劇中に、もうひとつ象徴的なセリフがある。

「血は水よりも濃い」

それは事実かもしれないが、真実ではない。
血の繋がりを超えた「家族ごっこ」にこそ、本物の愛情が生まれることもあるのではないか。
その真偽をぜひ、作品を観て確かめてみてほしい。


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