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【ゆる〜い募集】雑談しませんか?

突然かつ唐突ですが、このところずっと考えていた無謀なことを書きます。

雑談したい人を募集します。
ただ「誰かと話したい、喋りたい」という方と、なんでもない、なにげない時間を過ごしたいと思い立ちました。
お悩み相談というと少し敷居が高くなってしまうので、あくまでも「雑談」。

「いや、見ず知らずのあんたと何を話すんだよ!」と思われるでしょうから、私のこれまでの人生とこの雑談相手募集の目的をお話しします。
記事投稿もフォロワーも少ない新参者ですが、少しでも興味を持っていただけた方、最後まで読んで頂けると幸いです。

私の生まれ育った環境

私の田舎は九州の西の方にある、人口500人の山に囲まれた町です。
5才の時に両親が離婚し、母と姉と3人家族で育ちました。
その数年後に母が癌になり、入院中の約2か月間だけ父が戻ってきて父と3人暮らしになりました。
母の退院後、父は再び出て行き選手交代。
小中高と可もなく不可もなくな毎日を過ごしたはずです、多分。

経済的に苦しい家庭環境もあったからか、自分の思いや考えを主張せず大人の顔色を窺ってばかりの子供でした。
友達の家でたくさんのショートケーキを前に「好きなの選んでいいよ」と言われても、誰も選ばなそうな地味なケーキを選んだり。
わたくしめには残り物で十分です…的な発想で、とにかく誰も嫌な思いをしないようにと、周りの目を気にしてばかりいました。
なんとなく生きづらさや居心地の悪さを感じていた記憶はあります。

その頃から唯一、興味があったのが英語。
日本以外の多くの国では英語を使って会話ができるんだと。
外の世界を知りたいと、とにかく必死に英語を勉強しました。

高校生でアメリカ留学

母子家庭で育った私には、海外なぞ夢のような話で半ば諦めていたのですが、英語を学べば学ぶほど私の外国への憧れは強くなっていきました。

そんな時に中学校の先生が勧めてくれたのが、英語専攻科のある私立高校。
私立に通う余裕などありませんでしたが、無利子の奨学金で授業料が賄えることになり、念願の英語漬けの日々が始まりました。
高校には交換留学制度があり、年に数回海外の高校生が来日し同じクラスで授業を受け、同時にうちの高校からも数名が海外の姉妹校へ行きます。
そんな環境にいると、海外で学びたい欲がどんどん膨らんで…家庭の経済状況は知りながらも、恐る恐る母に留学したいと伝えました。

そこで手を差し伸べてくれたのが祖父でした。
祖父は私が車の免許を取るためにとお金を貯めていてくれたのです。それを留学資金として使わせてもらい、高校2年の時に1年間のアメリカ留学が決まりました。

17歳でアメリカ生活

滞在先はウエストヴァージニア州という緑たっぷりな土地。
一緒に暮らすホストファミリーは、両親と兄弟と…みたいな一般的な家族を想像していましたが、私の家族は40歳の一人暮らしの女性でした。
ホストマザーのみ。ママと犬と猫が私のアメリカの家族です。

ママは大学に通いながら地元の消防士で、事務の仕事もしながら週末にはネグレクトを受ける幼い子供を預かり、お風呂に入れて料理をご馳走する、とてもパワフルで温かい女性でした。

地元の高校は、日本とは比べ物にならない広大な土地に中学校と高校が併設された建物。
もちろん最初は英語がさっぱりわからず、緊張も加わって無言で1日が終わる日も多く、途方に暮れる毎日でした。

人種差別は今よりもひどい時代、友達もできずトイレで昼食を食べることもありました。真珠湾攻撃の日に他の学生と一緒に黙祷したら「お前には黙祷する権利はない」と言われたり、原爆投下日には「おめでとう」と言われたり。

私自身がもっとオープンに周りと接することができればよかったのですが、集団で嫌悪感をぶつけられると全身が強張ってしまい、17歳の私にはその空気を壊す勇気はありませんでした。

毎日暗い顔で帰宅する私を笑顔で迎えてくれるママに「学校に行くのが辛い」と話すと、ママは同級生を責めるのではなく「あなたがもっと楽しめる環境を探せばいい」と、いろんな道をアドバイスしてくれました。
そして放課後のミュージカルクラスに参加することになりました。

ミュージカル映画の名作「グリース」の上演が決まり、ちょい役を与えられ、原作を観て勉強し歌を練習しました。だんだんと友達も増えていき、そこからは自分なりに充実した時間を過ごすことができました。
その当時の同級生とは今でもFacebookで繋がっています。

日本に戻ってから今まで

帰国後は日本の高校に復学、お金の都合もあり国立大学の夜間クラスに進学し、アルバイト掛け持ちで生活費と学費を稼ぎながら…それからかなーり端折りますが、テレビ番組制作の仕事に就きました。

仕事ばかりの毎日、年間で休みはお正月くらい…なブラック感満載の業界。
ただ、新社会人の私にはこの世界が全てで、この世界の常識が当たり前になり、気がつけば仕事以外なにも経験していないまま40歳近くになっていました。

今わたしがいる環境

数年前にフリーランスになり、様々な企業と取引しながら順調なワーカホリック人間を全うしていた2023年の春、公私共に助け合い信頼していた人からの裏切りにあいました。
あまりにも衝撃的すぎたその出来事を受け入れることができず、私の中のあらゆるものが音を立てて崩れていったのです。

人間不信に陥り、日常生活もままならないほどに食べられず、眠れず、生きているのかもわからないほど廃人の日々が始まりました。

そして、仕事を辞めました。
そして気づいたこと。私には仕事を失うと残るものがなに一つ無かったのです。

それほどまでに打ち込んだ仕事は、その業務が好きというより「自分を必要としてくれる場所」という承認欲求を根底にした思いが強くあったように思います。
仕事を失くした今、私はこの世に必要のない存在だと感じるようになりました。

ネガティブな感情に支配されないように、5月から7月にかけて、ベトナム、オーストラリアをバックパックで一人旅しましたが、帰国した瞬間に急速な孤独感に襲われて一気に引きこもり。

カウンセリングや心療内科に通いながらも、自分がどこにもフィットしていない感覚がずっと残ったまま現在に至ります。

雑談募集のきっかけと目的

仕事を辞めて社会との繋がりをほとんど無くし、人との関わりを避けnoteに自分の思いを書き溜めていく日々が続いていたところ、見ず知らずの私のnoteを見てくださり、いいねをくださる方がいらっしゃいました。

知らない誰かが私の文章を読んでくれた。そのご好意がとてもありがたく救われた気持ちになりました。
noteに集う人たちは皆さんユニークな経験をされていて、上手な文章で表現されていて、すごいなぁと感嘆するばかりです。
そして、とても温かいなと。

そんな思いを抱くなかで、もっと私自身の事を伝えたい思いと同時に誰かの話を直接聞きたいと思うようになりました。
そして「誰でもいいから話を聞いてもらいたいな」と思う人がいれば、その人の話相手くらいにはなれるかもしれないと思いました。

もちろん、誰かの悩みを解決してあげることもできないし、そんな力も資格もありません。

明日から始まる仕事が憂鬱で眠れない人。
すごく嬉しいことがあって誰かに伝えたい人。
デートに着ていく服どっちがいいか決めてほしい人。
ただ話し相手がほしい人。
話さなくてもいいから一緒に時間を過ごしてほしい人。

なんでもない、なにげない「雑談」をしてみたい人がいらっしゃれば、その時間を少しだけ私と共有していただけませんか。
そして、その時間は私にとっても学びになり、経験になり、noteに自分の思いをしたためる原動力にもなります。
これは私の人間回復プログラムでもあります。

重ね重ね唐突かつ突然の募集ですが、もし「ちょっと相手してやるか」と思われた寛大なお心の持ち主がいましたら!「クリエイターにお問い合わせ」をクリックして、メッセージをいただければと思います。

※「クリエイターにお問い合わせ」ヘルプページ

長々と書いてしまいましたが、以下詳細です。

■実施方法:オンライン(zoom)もしくは直接お会いして(都内)

■時間:ご都合にあわせて調整します!
※早朝や夜間はオンラインをベースに考えていますが、日中はオンラインor直接お会いしてなどなるべくご希望に添えたらと思います。

■料金:サポートからの募金制にします!
※商業目的でもないので…とは思いましたが、ご参加いただいた方からのお気持ちで50円でも100円でも。通信費を賄えるくらいになればいいかなと思っています。

以上、思いつきの募集をここまで辛抱強くお読みいただきありがとうございます。改善点が出てきたらアップデートしていきます。ご興味を持っていただけましたら、ぜひよろしくお願いします。


※8月にこういうことできないかなぁと思いつき、9月に投稿を書き始めて、勇気が出ずにしばらく下書きに寝かせてましたが、10月12日、ようやく公開ボタン押しました。
なんでもやってみるしかない!そう言い聞かせて動いてみます。

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