夫よ気付け

「家事」のこと、知ってますか?

時代劇のような昭和の固定観念を脱却し、
令和の父親になる為のアップデート作戦中!
ナツキのパパです。

さて、家事育児をパートナーにほぼ任せている方に向けて書きたいと思うのですが、ここをご覧の(主に父親=男性陣の)皆さん、「家事」をどれくらいされていますか?

家事って、誰かがしなきゃ家族全員の生活が困るような、超重要事項ですよね。

でも、貴方はともかく、貴方の周りにいる「父親」って、家事と呼ばれる仕事量の多さや大変さを軽視していたり、余り認識していない人が多かったりしませんか?

※ボクの周りにいる「父親」の多くは、家事育児はほぼ「母親(奥様)1人に任せている」という方ばかりでした。

もちろん、夫婦で話し合ってお互いにとってその役割分担が1番良いと判断している場合はそれで良いのですが、そうではなく、単純に父親側がそういうモノだと認識していたり、なんなら母親も自分がやるべき・やらねばと1人で抱え込んで苦労しているケースもとても多いのが現状です。

また、特に男性は法律や常識(慣習)といった意味を含む「権威」には弱いけど、女性目線の話(≒既知の慣例や慣習に沿わない実際的な話≒実情面や感情面の話)をされると、謎フィルターで正論でも素直に受け入れられなかったりすること、多いと思うんですよね。

なので、男のボクが思う、ボクの言葉で書いています。是非、機会あれば、周りの男性とこの話をしてみて欲しいなーと思います。


家事は女の仕事とか思ってる男は、
SNSで罵られツイートが常にサウザンド「いいね」

twitterとかSNSを見ていたら、連日、旦那への愚痴・不満の声を見かけるし、必ずという程、物凄い数の共感と、自分の場合のエピソード合戦がコメント欄で繰り広げられてますよね。

例えば、週に数回、朝にゴミ出しをするだけで、なんか「家事やってるぜ」的なドヤ顔をかます旦那さんだったり(しかも本当に「出す」だけで、ゴミをまとめたのすら奥さんだったり。ゴミ出し1つとっても、まとめるのもそうだし、分別もそうだし、交換後のビニール袋をセットしたり、それらもセットでやって初めて「ゴミ捨て」だよね!)、日用品・消耗品について「◯◯切れてるよー」と他人事のような丸投げ発言してくる感覚とか、「専業主婦って暇じゃん?」とか思ってる男性とか本当に多いですよね。

そう、今の日本社会では、今なお「妻がやって当たり前」という(決して普遍的でも不変的だった訳でもない慣習や)古い文化感が旧態依然として残っていて、しかも、そんなワンオペ育児を必死でこなしてる母親にしてみれば、やったところで評価もされないばかりか、たまに休んだり弱音をこぼしただけで、なんなら愛情不足だとか怠慢だとか叩かれかねない風潮、理不尽さに満ちた状況がまだまだあると思うんですよね。

しかも、ボクの周りいる男性陣でいうと、「女の仕事」だと思っている考え方だけでなく、そもそも「家事を日常的に1人で普段することの何が大変なのか」がまるで分かってない人が殆どという始末です。


家事の大変さは、延々と精神を削られる「他人ペース」と、心が折られる「達成感の無さ」。

もしも「実は俺もよく分かってない」という男性がいたなら、是非この機会に想像してみましょう。

会社における仕事であれば、程度の差はあれ、必ず「終業」時刻があるし、何より対価が出ているし、そこには、多かれ少なかれ、いわゆる「達成感」がありますよね。
※成績や成果はともかく、少なくとも「給料」という形で対価を数字で見られる。

でも、家事には「終わりがない」し、基本的に「給料も貰えない」し、何といっても、目の前の仕事に「集中できない」し、目の前の仕事を思うように「終わらせる事ができない」こと、さらに順序よく「計画通りに物事を進められない」こと。これらがツライんですよね。

つまり、マイペースの余地が一切なく、さらに達成感も得られない。

これが、これこそが、本当にキツいし、心が折られる、耐えがたい、最大のストレス、苦痛だと思います。

そして、この後の具体的な話に入る前に、忘れてはならないこと事というか、家事をパートナーに任せきりな方には絶対に知っておいて欲しい事があります。

家事は、目の前の「する事」だけじゃなくて、消耗品の残量の把握や補充のタイミングや、学校や保育園の参加行事やらのスケジュール管理などといった「考えること」も、めちゃくちゃ多い。

これも、家事育児と向き合う上で、相互理解には必ず覚えておいて置いた方が良いポイントかなと思います。


自分に置き換えて想像しよう。

例えば、小さな子どもがいる家なら当たり前にある光景だと思うけど、おなかが減ったと泣きぐずる子に、ご飯の準備を始めたら泣き叫んで抱っこをせがまれて、上腕二頭筋をプルプルさせながら頑張って片手で抱っこして奮闘する耳元で「早くお腹すいて泣いてる私を何とかしろっ!!」というように暴れられて、何とか耐え切ってキッチンがぐちゃぐちゃのままとりあえず食べさせたら、それじゃないと拒否されたり、こぼされたり、何ならお皿を投げられたり…。

・・・疲れと怒りと悲しみとが混ざり合った状態で床を拭いてる時に、上の子がアレしてこれしてとめっちゃ話しかけて来て、アレやってとかコレ見てとか、「聞く」だけで済まない用事を熱烈に持ち掛けてきたり…。
臨界点を超えて鬼の形相で雷落として、襲いくる自己嫌悪の波に呑まれてる最中に、ご飯を残した上の子がお菓子食べたいとか言い出したり…。

自分が食べたのかどうか、おなかが膨れたかどうかもよく分からなくなりながら、洗い物がたんまり積まれた状態に着手すると、手が泡まみれの時にトイレに行きたいと服を引っ張られ、またも途中で手を拭いて服を脱がせてたら間に合わなくてお漏らしされたり…。

仕方なく脱がして拭いてそのままお風呂に入れて出てきたら、一度片付けた筈の部屋がおもちゃがまた散乱してたり…。

洗濯物を畳んでいたら、畳み終わって重ねていた洋服を走り回る子どもが蹴っ飛してひっくり返しやり直しになったり…。

しかも赤ちゃんだったなら、1人でお風呂にも入れないし手が塞がったままだから自分の体も洗えず、出た後もろくに自分の体や髪を拭けなくてビショビショのまま保湿クリームぬったり薬ぬったりパジャマ着せたりしなきゃいけなかったり…。

とにかくもう、アレもコレも半端だし、どれもこれも片付けたいと思ってるけど、子ども達がそれをさせてくれなくて、なに1つ、自分の思うように物事が進められない。

どれだけのストレスか想像できますか?


とどめが、不理解な夫の帰還。

しかも、そんなところに帰ってきた旦那から開口一番、
「散らかってるな」とか「ご飯は?」とか言われた日には…?

疲れ果てた妻をよそに、食べた食器はそのままで洗い物をする訳でもなく、自分だけさっさと風呂に入ったり、横になってスマホいじっていたり…。

うやーもう!無理ッ!!
怖いっ!怖いでしょ!?
耐えられないよねッ!!

もうね、しかもそれが、連日!!
その日だけじゃなくて毎日続くとか!!
これをそのまま会社の仕事に置き換えてみたら、地獄ですよね!?

もう一つ大事な事を付け加えて置くと、よくあるケースとして、旦那さんが帰宅するタイミングは、前述の戦場の様なピークタイムをあらかた終えた後の光景だったりすること、戦争真っ最中の光景ではない、ということです。

それと、うえでも書きましたが、
大事なことだからもう一回書きます。

家事は、目の前の「する事」だけでもとても多くて大変ですが、さらに、目に見えない「考えること」もめちゃくちゃ多いです。

こんなに鬼のような多忙さ、精神的にも肉体的にも重労働な家事に、さらに目に見えない部分の家事もわんさかある訳です。


「鬼に金棒」よりも確実に強敵。

・・・興奮してしまい、失礼しました。

とにかく、本当にもう、知るべきです。
どんな精神状態になるか、どれだけストレスになるか。

そして、「鬼に金棒」という諺がありますが、家事は育児とセットになることで確実に「鬼に金棒」よりも凶悪な攻略対象になります。
その身体と精神を同時に疲弊させる暴力的なまでの攻撃力は、もはや言うまでもない(と信じたい)ところです。


サザエさんは時代劇だよ。

さて、そして今は核家族化と夫婦共働きが一般化した現代社会では、サザエさんなどの昭和アニメに見る(多くの男性…ある意味では女性にも刷り込まれた)夫婦像や家庭観は、もはや時代劇です。
※これは受け売りでボクの言葉じゃありませんが、本当にそうだな、そう受け止める事が大事だなと思います。

今、妻(母親)を救えるのは、もはやパートナーである夫(あなた)しかいない場合が殆どですので、男性の皆さんは「お仕事で疲れている」という気持ちもよく分かりますが、家事や育児の大変さを知り、また、出来れば性的役割のような価値観についても疑問を持って、あらためてご夫婦の関係や役割について、話し合う時間も持っていただくのも、良いのではないかなと思います。

以上、ナツキのパパでした。

※もし良かったら、(特に男性の方は)こちらもご覧いただけたら嬉しいです。



子どもが出来てから夫婦の関係性が悪くなったと感じる男性は結構います。
実際にそう感じる男性や、そうなりたくない男性の方は是非こちらもご覧頂けたらと思います。


今回の記事を読んで「家事」についてもっと詳しく知っておきたい!と感じた方は、是非こちらもご覧ください!


夫として父親としての自身の振る舞いを見直した方がいいのか・・・?と気になった方はこちらも是非ご覧ください。



過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。