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遺書No.749 たぶん今は時代の変わり目。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2006.7.26
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mixiが世に登場してもうすぐ2年ぐらい?
SNSってのは確かに面白いよね。
ここまでコミュニケーションツールとしての機能があがれば、 恋愛だって当然ありだろう。
匿名性や情報の不確かさは大きな特徴だが、
それすら今は障害にはなりえない。
だがそれだけに大きな危険性を秘めているのも間違いない。

真意の有無を問わない言葉の交換。
極めて希薄な絶対観。
限りなく交わされる文字の羅列は魔法の世界。

楽しみ方は人それぞれだけれども。
没頭しすぎて依存症になってると感じる人を最近よく目にする。
おそらく社会問題として取り上げられる日も遠くないだろうな。




こんばんわ、みーくんです。




人を好きになった時。
恋をした時。
たとえその恋がうまくいかなかったとしても、
どんなに悲しかったり苦しかったりしても、
どんなに忘れたいと思っても、
恋をした事実を否定する事だけはいけない気がする。

当時の自分を否定する事になるから。
自分の気持ちや想いまで誤魔化してはいけない。
その恋があって今があるから。
自分についた嘘は、
絶対にその嘘が自分を振り回すから。
なぜなら常に自分が嘘である事を知っているから。

好きになったのは理由があるし、
恋をした事には理由を求めてはいけない。

人を好きになるって、
そして恋をするって、
すごい事だと思う。

自分の周りにいる沢山の人の中で、
自分の心を揺らし、特別な感情を抱かせる。
知らなかった自分や、素直な自分、飾らない自分を見せてくれる。
常に新しい自分、本当の自分に出会わせてくれるから。
それってとても貴重な事だと思う。

好きになった人とどう過ごせたか、
好きになった人にどう思ってもらえたか、
恋をした事で何ができたか、
恋をした人に恋をしてもらえたか、

それらの全ての結果よりも、
人を好きになれた自分、
恋をする事ができた自分、
その事実に中こそ本当に大切なモノがあるんじゃないかと思う。


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2022.8.1
毎日遺書を書き始めた当時749日目の投稿内容。
案の定このすぐ後ぐらいに「mixi依存症」とか「SNS疲れ」といった言葉が出てきたよね。
もはやそれも遠い昔の話だけどw


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。