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遺書No.909 十人十色。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2007.01.05
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所詮は他人の人生。

こう言うと物凄く冷たく聴こえるかもだが、
結局これはある一面において真理だ。
様々なニュースが流れ、
人によっては一喜一憂もする。
そして多くは自分には関係ないと知らぬふり。
我が身になって初めて知る世の冷たさ。




こんばんわ、みーくんです。




何もネガティブな意味だけを指すのではない。
冒頭で「冷たく聴こえるかもだが」と言ったが、
あくまで自分がそう感じたというニュアンスで、
この言葉の用途は広い。

楽しんだり前向きになったり、
自戒になったり冷静になったり、
自分にとって大きな意味合いを含む事もしばしばだ。

だが、所詮は他人の人生。

視点を変えれば、
自分の人生がどんなに苦しくて辛くても、
助けて欲しいと願っていても、
周りから見れば他人の人生。

良くも悪くも他人事だ。

巻き込まれるのが嫌で見てみぬ振りをしたり、
逆に苦労も知らずに一方的に羨んだりもする。

でも仕方ないよね。
何かを押し付ける事はできないわ。

感性、価値観、物差し、
またその類似や同義のどんな言葉を使っても、
十人十色って要素は消せない。

人類という種族、民族、地域などで更に分類され、
結局は同じ家族や兄弟の中でも皆違う訳だからな。

またこれは人間に限った事でもないだろうよ。



飼い主:「誰か新聞とってきて~!」


Gレトリーバー:
「はーい!天気も良いし気分も良いし、新聞運びにはもってこいの日ね!」

Gシェパード:
「私におまかせください。で、どこを通ればいいのでしょうか?」

ラブラドールレトリーバー:
「ハイったらハイ!僕!僕!僕にやらせて!いい?いい?ほんと?ウハ!もう最高!!」

バセットハウンド:
「まだ昨日の新聞をとりに行く途中なんだよ。」

ダックス:
「と、とどかない...」

ポインター:
「新聞はここ! ここなんだってば!!」

セッター:
「今、新聞を追い出すからね...」

シーズ-:
「ダッコしてポストまで運んでよぉ」

バーニーズ:
「もっと重いものないの?」

ハスキー:
「ついでに旅に出たいんですけど...」

ヨーキー:
「あらやだ、コートが汚れるじゃないの。
 ボーダーコリーさん、悪いけど代わりに行ってくださるぅ?」

グレイハウンド:
「逃げない奴にゃ興味無いね。」

ニューファン:
「泳がない奴にゃ興味無いね。」

ビーグル:
「新聞? 新聞って何? それって食べられる? ごほうびは?
 他のやつらじゃダメでしょ? やっぱ狩猟犬だよね!え?え?
 誰がうるさいって?」

バセンジー:
「・・・」

サモエド:
「・・・」(ニコニコ)

セントバーナード:
「あ、食べちゃった...」

ボルゾイ:
「余はそのようなくだらぬ用に関わりを持たぬ!」

マスティフ:
「俺に指図するたぁいい度胸じゃねえか?」

グレートデン:
「皆の衆、新聞を取りに行くのじゃ。」

Bコリー:
「近所の新聞も集めといたよ!」

猫:「イヤ。」



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2023.6.17
毎日遺書を書き始めた当時909日目の投稿内容。
いま正に、多様性を包括する事の大切さが叫ばれる時代になりましたね。
昨今は、ダイバーシティ&インクルージョンなんて言葉もようやく世間に広まってきた感ありますが、よくよく考えてみたらさ?
八百万の神々に畏敬の念を抱く日本ですよ!?
十人十色 という言葉があるよに、本来は昔から 多様性社会を包括する礎は、我が国にはあったんじゃなかろうか?
そんな事を思ったりしますね。


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過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。