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遺書No.890 ウンコ座り。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2006.12.17
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オナラが止まらない。

なぜか4年ほど前から、
屁意の間隔というか屁の回数が増えました。
半端なくオナラが出ます。
理由は分かりません。
ガスが溜まるよりはいい事かも知れないが。
また多くが無臭である事も唯一の救いです。




こんばんわ、みーくんです。




今日は仕事中にある駅前で、
ウンコ座りしている老婆を見かけた。

ウンコ座りといえば、
昔から不良少年の定番スタイルのアレ。

しかも若者がウンコ座りする姿からは、
あの年齢特有の厭世感や、
自己顕示欲を感じたりする訳だよね。

だがしかし、さすがにその老婆からは、
そういったメッセージは読み取れなかった。

気持ち遠くを見つめる穏やかな表情からは、
むしろ世の中で起こるあらゆる事を許すような、
とてつもなく大きな、
なんなら母性のようなものを感じた。

ウンコ座りしながらも、
見る者に母性を感じさせられる人間は、
なかなかいるものではない。


しかしなんでウンコ座りなのだろうか?


あの姿勢というのは、
なかなか足腰に負担がかかるものであり、
年配の者がそういう姿勢をとる姿を私はあまり見たことがない。

ふと考えた。


よもや本当にウンコしているのではあるまいな?



さすがにそんな事はなかったが、
一度そう考えてしまうと、もうダメだ。

さっきまで母性すら感じさせたあの表情は、
単なる排泄による心地良さを表わしているようにしか見えず、その頭上でハエが2匹で弧を描いているような気さえしてきた。

なんだ、この腹立たしさは。
いい加減にしろとさえ思った。


ここから我々が知るべき事は、

「公共の場でウンコ座りをすること事の是非」

などではなく、

「モノを見るときの人間の身勝手さ」

というやつだ。


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2023.2.11
毎日遺書を書き始めた当時890日目の投稿内容。
あくまで結果論だけど、人が持つ先入観や固定観念というオートフィルター機能が持つリスクや怖さを近年深く感じていて、最後の言葉は妙に核心を突いていた気さえする件w

過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。