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燃ゆる日々

喉が燃えている。ついでに胃も少し燃えている。頭の中に灰が音もなく積もっていく。

めらめらと燃え盛る烈火ではなく、熾火のような静かさで燃えている。
静かなので、触るまで燃えていることに気づかない。不意に触れた瞬間に、燃えているという事実と、その温度の高さに驚かされる。


この数ヶ月で、過去の自分の数年分、人と会話をしている。今まで人と会話をしなさすぎたのだと思う。
自分が発した言葉にすぐ返事が来ることに、毎回新鮮な気持ちで驚く。なんだか熱くなる。何かの摩擦によって発生したエネルギーで燃え始める。一人になってからもまだ火照っているので、帰り道に風で熱を冷ます。風が冷たくて乾いていて気持ちがいい。冬の始めのそっけないような、頓着のないような乾いた風が私はすごく好きだ。


ロンリコのショットを飲んだときも喉が燃えた。75.5%。液体の通り道がはっきりとわかる。通った道が全て燃えた。野焼きの映像がずっと頭の中で流れていた。水を沢山飲んで鎮火した。


カクテルのオーダーが入る。グラスに氷を敷き詰める。バースプーンでくるくると回す。指と指との間に微かな熱が生じる代わりに、グラスは氷によって冷えていき、やがてひとつになる。グラスと氷が一体になる感覚が好きだ。働くのとは関係なしにずっとこういうことをしていたいと思う。

氷が高速で回転しているところを見ていると、虎が木の周りをぐるぐる回ってバターになってしまう話を思い出す。なんとなくバターになってしまった理由がわかる気がする。やっぱりわからない。虎はバターにならない。


脂肪はなかなか燃えない。笑ってしまうほど燃えない。走る。歌詞のない音楽を流して黙々と走るのが丁度いい季節。
冬の夕暮れの美しさに愕然とする。木々の間から燃えるような赤が見える。いつの間にか立ち止まっている。澄んだ青とのグラデーションはいつ見ても綺麗だと思う。
そんな夕暮れを見ながら走っていると、なんだか自分の体内の中を走っているような感覚になる。身体も燃えているし、空も燃えている。


眩暈。慢性的な眩暈。チカチカするし目がまわる。こんなことを色々な言い訳にしたくないと思う。
頭の中でぐるぐると虎が走り回る。そしてバターになった瞬間に瞬きくらいの眠りにつく。すぐ醒める。私はバターになっていない。バターになっていないことに、少しだけ落胆する。頭の中に灰がしんしんと積もっていく。


活字を読む。本を読むという行為は自分以外の人生を生きることなのだと思う。
まだ読まれていない本が横たわっている姿を見ているとき、一番優しい気持ちになれる。
この本達は私に読まれるためだけに、じっと待ってくれているのだと思うと、本当に優しい気持ちになる。

ふと、読書を楽しむ気持ちが前より大きくなっていることに気がつく。楽しむ筋肉みたいなものがついたように思う。
この筋肉はどうしてついたんだろうと考える。


燃えていたからだ、と気づく。
燃えて灰が積もって、その灰が気付かぬうちに身体の養分になっていたのだ。
燃えることに慣れていなかったからその熱さに戸惑っていたけれど、ちゃんと意味があったのだ。
意味があったということに気づけてよかったなと思う。意味がわからないまま燃え続けるのは少しだけ、ほんの少しだけ疲れる。

でも、養分になるのなら、前に進んでいけるのであれば、ずっと静かに燃え続けていたいと思う。バターになるには、まだ少し早い気がする。

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