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2024

すっかり生活の一部に爆食が組み込まれてしまった私は、爆食後の胃の不快感と波のように押し寄せる後悔と反省と共に新年を迎えた。

下腹部に溜まった贅肉が「お前は世界で一番怠惰な人間だ」と私を責める。
この世には美味しいものが多すぎるし、ストレスが多すぎる。
要するに、ストレスをカロリーで相殺するのが一番お手軽なのだ。

去年、一昨年の今頃に書いたnoteを読んでみる。やっぱり何度読み返しても不器用な人間だなと思う。
二年前の自分もダイエットを頑張っていたらしい。二年前の自分、本当に申し訳ないですがしっかりめのリバウンドしてます。未来で待ってる。


年々、楽をしたがる人間になってきた。何に対してもできるだけ楽をしたいし、割に合わないことは全力で躱していきたい。
楽をしても死ぬわけじゃない。何も悪くない。
悪くないが、ふとした拍子に転けて起き上がれなくなったときが怖い。
ずっと楽ができる訳がないという確信があるからこそ、ツケを払う「いつか」が怖い。ゆっくりと死んでいくのが怖い。
その漠然とした怖さを背後に感じながら、私は今日も楽をし続けている。

散歩しているときや湯船に浸かっているとき、頑張りたいという欲求がぽこぽこと頭の中に浮かぶ。
あ、頑張れるかもしれない、と思う。
何かを始められるかも、と思う。
ここから私の人生の「本番」とやらが始まるんだ、と本気で思う。
世界全体が私に微笑んでいるような気がする。

10分後にはそう思っていたことすら忘れる。
なんかさっきすげ〜ポジティブな瞬間あったな、と完全に他人事になってる。
学生時代、勉強しなければしないほどテスト当日に根拠もない自信が湧いてきたのを思い出す。あの瞬間に少し似ている。
テスト開始の合図と共に眼前に現れる問題文。読んだ瞬間に醒める夢。

要は、ディティールがわからない方が楽観的になれるということなのだろう。
私が年々悲観的になっていくのは、人生のあまりに面倒で複雑なディティールを馬鹿なりに理解し始めてきたからかもしれない。
人生や自分自身に対しての感情が日に日に歪になり、今では自意識の化け物みたいなものが私の身体を巣食っている。

なので、誰かが不意に褒めてくれたとき
「そんな訳ないだろッッッ!!!!!(迫真の集中線)」
と頭の中の化け物が叫ぶ。ルフィか?

その叫びを必死に抑えながら
「へへっ…、ありがとうございます…」
と中途半端に気持ちの悪い返しをして、心の中では(もっと気の利いた返しができたはずなのに…)と後悔をしている。
そしてその靄を、一人になったときにこねくり回して成形し、日記として世の中に出している。半分は読まないでくれと思いながら、もう半分は読んでくれと思いながら。

そんなnoteも5年目になるらしい。


継続することが苦手な私にとって、5年という数字はかなり、いや、信じられないくらい長い。
文体もだいぶ変わった。それが良いのか悪いのかわからないが、とにかく変わった。

先程年々悲観的になってると言ったけれど、一つのことに固執して悩むことは減ったと思う。
次から次へと悩みが増えていくから、割くエネルギーが分散されているような気もするし、見切りをつけることが上手になったような気もする。
ある意味楽観的になったのかもしれない。

私のnoteは読みづらい。保険とかじゃなく本当に自分でもそう思う。
過去のnoteを読むと「うるせーばか」と言いたくなる。過去の自分に普通に腹が立つ。
「こんなに正直に自分のことを書いて恥ずかしくないのか」と言われそうだから先に答えておくと、全然恥ずかしいです。いつも恥ずかしい。

でも、言葉という名札を与えることで感情が扱いやすくなる。生きやすくなる。実際そうやって生き延びてきた。
だから自分の為にこれからも書く。
その不完全さに身悶えすることがあっても悶えながら書く。
いつか誰かの為に文章が書けるようになりたい。それが唯一の未来への希望かもしれない。


とりあえずこんな感じで今年も独り言は続けていきます。肩肘張らずに。
今年もよろしくお願いします。

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