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言葉の旅②〜許す

「許す」「許さない」人と人との関係で、よく登場する言葉。

理不尽な目に遭ったり、嘘つかれて傷つけられたり、「ああ、許せないなぁ…」と沸々と感じる出来事。できれば避けたいけれど、いろいろな人と関わる以上、そんな感情に囚われてしまうこともある。

わたしはもともと「許す」という言葉があまり好きではない。許す許さないも、わたしが自由に生きるように、誰にでも自由に生きる権利があるわけで、「許す」「許さない」ってなんだか上から目線というか。
「どうか許してください!」と懇願された状態で「はい、許します」というのならわかるが、そうじゃない限り、一方的に許す許さないもないのでは。

コーチングなどでもよく「自分に許可する」みたいな表現が出てくる。「自分を許す」とか「許せない自分を許す」とか。

許せない自分を許す。パッと聞くといい感じの言葉に聞こえるが、それはどういう意味なのか。
「許せない自分を俯瞰して、そんな自分を許そう(認めよう)」ということなんだろうけど、客観的に見たところで自分は同一人物なので、「許せないわたしを許すわたし」って、どういう状態なのだろう。
(なので「メタ認知」という言葉も苦手。試みることはできても、自分が自分である以上、そんなことは不可能と思ってしまう)

そもそも「許す」とは、どういう意味なんだろうか。
こういうとき登場するのが国語辞典。言葉の意味に悩んだら、ひとつひとつ確認する。世の中には「知っているけど説明はできない」言葉がたくさんある。

【許す】
①さしつかえないと認める。
ア:願いなどを聞き入れる。イ:罪・とが・負担から解放する。

岩波国語辞典第八版

いくつか意味があるが、いまテーマにしている「許す」はこの①イが該当するだろう。ここからもっと深掘りしていく。

【解放する】
①解き放して自由にすること。

岩波国語辞典第八版

罪・とが・負担から時解き放して自由にすること。
「とが」は咎めるの「とが」だが、あらためて意味を確認する。

【とが】
他人が非難するのももっともな、欠点・過ち、けしからぬ行い。

岩波国語辞典第八版

だんだん近づいてきた感じがある。では、けしからぬ行いとは。

【けしからん】
道理や礼儀に反していてよくない行い。不届きだ。

岩波国語辞典第八版

【道理】
物事の筋道。

岩波国語辞典第八版

【礼儀】
社会のきまりにかなう、人の行動・作法。そのような敬意の表し方。

岩波国語辞典第八版

ここまできて、かなり意味を理解して納得してきた。
つまり「許す」とは・・・

他人が非難するのももっともな、欠点・過ち、物事の筋道や社会のきまりに反する行いから、解き放して自由にすること。

この文章には主語と目的語がない。解き放して自由にする対象は、「相手」と「自分」どちらが入ると思いますか?

解き放して自由にする。
「許す」とは本来「相手」に向けられる許可を意味するが、冒頭の「自分を許す」に当てはめるならば、この文章には、そんな他人の行いに振り回されている「自分」が入る。

他人が非難するのももっともな、欠点・過ち、物事の筋道や社会のきまりに反する行いから、自分を解き放して自由にすること。

見事に「課題の分離」を表している文章になった。
「他人が非難するのももっともな、欠点・過ち、物事の筋道や社会のきまりに反する行い」とは、結局は相手の課題である。それによって不快になったり、許せない気持ちになったり、傷ついたりしたかもしれないが、課題を抱えているのは相手であり、言ってしまえば「関係ない」のだ。

相手を許すとは、自分を許すこと。相手の課題から、自分を解放すること。

限られた人生、他人の課題に振り回されている時間がもったいない。それが大切な人なら、自ら寄り添いたいと思うけれど、向き合う余地すらない、課題があることすら認識していない様子ならば、もう降参して解き放ったほうがいい。

自分を解放して、笑顔になれる時間を増やそう。


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