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西洋美術史初のキスシーン。イタリア、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂。

パドヴァ大学の学生は卒業前に訪れると、卒業できなくなるという迷信があるスクロヴェーニ礼拝堂

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14世紀初頭にジョットによって描かれた西洋美術の傑作と言われるフレスコ画で有名です。2021年には、「パドヴァの14世紀フレスコ作品群」の一つとして世界遺産に登録されました。

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この小さな礼拝堂は、高利貸しの息子エンリコ・デッリ・スクロヴェーニによって建てられました。後に書かれたダンテの「神曲」の地獄篇に、このエンリコの父が出てくるように、高利貸しはキリスト教において重大な罪となされていたため、その罪の償いのためと自身の霊廟のために建てられたと考えられています。

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「最後の審判」の中に、礼拝堂を献堂するスクロヴェーニの姿が描かれています。絵の中の礼拝堂は、現存する礼拝堂より後陣部分が大きいのですが、この部分は、「個人の礼拝堂ではなく教会のようになっている」と、建設当時、近くにあった修道会により批判されたため、取り壊されたようです。

また、この礼拝堂が神聖化された「お告げの祝日」3月25日には、毎年、日の光がスクロヴェーニと聖母マリアの差し伸べた手の間を照らすそうです。

40人の弟子と625日間(1日は24時間ではなく、しっくいが乾ききらないうち、つまりフレスコ(新鮮なの意)な時間として計算されました)かけてジョットによって描かれた聖母マリアとキリストの生涯。

それまでのイコノグラフィーに比べ、立体的な構造で人物の感情表現が豊かな点が、当時にとっては非常に革新的でした。

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黄金門の出会い

聖母マリアの両親であるヨキアムとアンナ。老齢になったヨキアムは、子どもができないことを理由に、エルサレム神殿より追放されます。すると、離れ離れになった二人のの元へ、それぞれ天使が現れ、子どもが授かることを告げます。

ここでは、エルサレムに戻ったヨキアムが、黄金門で待ち受けていたアンナを抱きしめ、キスする姿が描かれています。

見つめ合い、唇を重ねる二人の顔には高齢である印の皺が。アンナが片方の手をヨキアムの首に回し、もう片方の手でやさしく彼の頬をなでる姿が非常に自然です。

西洋美術史初のキスシーンと考えられています。

キリストの生誕

キリストの父親ではないヨセフ。役目がない彼は、下部に眠ったようにしゃがみこんで描かれています。生まれたばかりのキリストをそっと置く聖母マリアの優しさが感じ取られます。

エジプトへの逃避

天使に導かれ、やがて起こるであろう幼児虐殺から、ロバにのって逃れる聖母マリアと子どものキリスト。どの絵でも聖母マリアのマントは青色だったですが、剥がれ落ちてしまい、この絵では青色がほとんど残っていません。

幼児虐殺

非常に残酷なシーンをリアルに描いた1枚。左上のバルコニーの上から「新たにユダヤ人の王となる子」を殺すために、ベツレヘムの2歳以下の男児を全員殺害するよう命令するユダヤの支配者ヘロデ王。子どもの体が大きく描かれているのは主人公となすがため。殺されて積み上げられた赤ん坊の体は、まるで額縁からあふれ出すがごとく。母親たちの悲痛さが伝わってきます。

ユダの裏切り

エルサレム神殿の脇で大司祭から銀貨30枚と引き換えに、キリストを捕まえるのを助けると同意するイスカリオテのユダ。悪魔にすでに取りつかれていますが、湿気により損害を受けた漆喰に後光の跡をみることができます。

ユダの接吻

前回のシーンと同じ黄色のマントを着たユダ。興奮したたくさんの人物が描かれた中、まるで時がとまったかのように描かれているキリストとユダ。この接吻により、兵隊に認識されたキリストは捕らえられました。

最後の審判

この作品の前までは、最後の審判、天国、地獄は区切られて描かれていましたが、ジョットは1枚の絵にこの3シーンを壮大に描きました。

近年、大規模な修復が行われたスクロヴェーニ礼拝堂には予約制でグループに分けられ、見学前隣接した部屋で15分間除湿、浄化されてから入ることができます。


素直にうれしいです。ありがとうございます。