京都の右上に住みたい
京都最終日は晴天。昨日の飲み屋のおじさんから桜がきれいだと勧められた植物園へ行く。桜とチューリップが見頃を迎えていた。どちらも4月の新学期のお花。この春、身近なお子さん3人が1年生になった。
植物園はシニアの皆さんがのんびりゆっくり園内を巡っていらした。おばあさんは「重そうなのにえらいねぇ」と枝垂れ桜を褒めていた。すれ違ったわたしは思わずにっこりした。
竹とバンブーが別物だと初めて知った。熱帯性のタケ類がバンブーで、竹は地下茎を横に伸ばして増えていくけど、バンブーは地下茎がほぼなく株立ち状に増えていく。株立ち状がどういう状態なのかはわからない。
ツツジも満開だった。ツツジもまた新学期のお花。ツツジを見ると自宅マンションのツツジの花の蜜を吸って小学校に遅刻したことを必ず思い出す。わたしとゆきちゃんの足元はツツジの抜け殻だらけになった。あのツツジは管理人さんが掃除してくれたのだろうか。
梅もボタンもシャクヤクも、奈良時代あたりに中国から持ち込まれた花だそう。
宮崎県の県木の写真を植物好きな人に送ったら「外来」と一蹴されたのだが、外来種の定義は何なんだろう。言うなれば梅もボタンもシャクヤクも外来なわけで、何年以降に持ち込まれた植物を外来種とみなす、など定義があるのだろうか。
植物園のあたりは静か。なんてことない小道がきれいで、小川には桜が咲いていて、なんなら植物園よりすてき。遠くには比叡山が見える。
賀茂川沿いを南に歩く。ここもまた桜がきれいで、正装したお子さんと両親がいたりして新学期を感じる。
ベンチでお弁当を食べる人、ランニングする人、写真を撮る人、桜の下で大の字になって昼寝をしている人。思い思いにのどかな過ごし方をしている人々を横目に歩きながら「住みてぇ」とつぶやく人。
昨日のおじさんが「京都では15階以上の建物を建てることができない」と言っていた。だからこその抜けの良さ。
加えてこのあたりは観光客がおらず、川も川原も広くて、静かで、とにかく良い。住みたい。
あんみつを食べる。テイクアウトでところ天を買っていった人がいて、触発されてわたしも買う。隣のテーブルでは年金の話をしていて、暗い気持ちになりそうだったので食べ終えてすぐ出た。こんなに気持ちの良い晴天の日に甘味を食べながら聞く話ではない。
立ち寄ったパン屋は焼きたてだった。紙袋がほかほか。温かいものは温かいうちに食べなさいと厳しく言われて育ったので、歩きながら食べる。幼い頃の母との買い物でも、時々焼きたてパンをちぎり食べながら帰った。一番おいしい食べ方だと思う。
東京の乗り換えの中目黒駅では通行人の交通規制が入っていた。桜は雨で散ったと聞いていたが、まだまだ咲いている。
2週間ぶりの我が家はなかなかきれい。出発前に掃除した自分を褒めたい。パキラも元気。
録画しておいた朝ドラ「虎と翼」の1週目を見てボロ泣きしてしまった。女性が無能力者とされていた時代に争い、権利を勝ち取ってきた先人がいるから今のわたしが一人気ままに生きていられる。
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