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自分の中の「女性らしさ」を解放したら、あらゆる人間関係が良くなった話。

この前、下記のつぶやきがふと頭に思い浮かんだことがきっかけで、「女性性」「男性性」について考えることに。

まだ家父長制の残る地方出身&親族経営の家系ということもあってか、物心ついてから高校卒業するまで「男性は外でお金を稼ぎ、女性はそれを献身的に支える」のがよい夫婦の姿という価値観の中で生きてきた。

でも個人的には、4人兄妹の末っ子で、「超」がつくほどの負けず嫌い。女の子とおままごとをするより、男の子と野球や木登りをして遊ぶ方が好き。女子同士のゴタゴタに巻き込まれるなら、ひとりでいた方が楽。将来は女社長になりたい。

そんな私のモチベーションの源は「男になんか負けてたまるか」という反骨精神。

自分でも「男の子に生まれてきた方が楽だったかもな」と思うくらいだったので、周りからも「そんなんじゃ結婚できないよ」とか「女の子らしくないね」って言われてもほっといて、くらいにしか思わなかった。

「男になんか負けてたまるか」という反骨精神は部活や勉強、仕事など上に上にを目指す分野においては、存分にそのエネルギーを発揮してくれた。

それに反して、対人関係、とくにパートナーシップにおいては大きな壁となって立ちはだかった。

相手が自分のことを想って優しくしてくれていても、完全に「その好意に甘えてしまってはなんか負けな気がする」という変なプライドがあって、好意を素直に受け取れなかった。

それは夫婦になってからも同じで、相手が自分より稼いでいると負けたくない。私も仕事してるんだから家事は半々にやってよ!など常に競争心むき出しで、ラブラブな新婚生活♡とは程遠く、ピリついた雰囲気が漂っていた。

その一方で夫の方はのんびり屋さんの優しい性格。「俺は仲良く生活したいだけなのに、なんでなっちゃんはいつもこんなに怒ってるんだろう……。」と思っていたらしい。

結婚してすぐの頃、好き同士で結婚したのにどうして毎日こうもしんどいんだろう。と悶々と日々を過ごしていて、小さなことでぶつかることも増えた。

その度にたくさん話し合いを重ねてきたのだけれど、そこで気づいたのは

「相手はただ私の存在を認めて大事にしてくれてるのに対して、私は無意識に相手より優位に立とうとしている」

ということだった。

それまでは相手に対しての不満が溢れて、良いところが少し見えづらくなっていたけど、幸せを感じれないのは全部自分に原因があったんだと気づいたのは結構衝撃だった。

でもその気付きがあってから、自分でもびっくりするくらいに夫婦関係が改善した(というより夫は元々優しくて、私がピリつかなくなっただけなんだけど)。

これまで重箱の隅をつつくように、やってくれないことを探しては腹を立てていたけれど、相手がやってくれることに対して素直に感謝できるようになったし、自分が相手に対してやってあげることに対しても、これまでは「奉仕してるみたいでなんかヤダ」っていうのがあったけど、相手が喜んでくれるならなんでもしてあげたいと思うようになった。

「夫婦は競争相手じゃなくて家庭をともに創っていくチームなんだ」

そう思えるようになってからは、いろんな「こうあるべき」から解き放たれて、自然と毎日ご機嫌が保てるようになった。

自分がご機嫌でいると、不思議と相手にイラついたり、変に期待したりしなくなるし、相手の良いところに目を向けられるようになる。

人に対する競争心を解いてからは、夫婦関係だけでなく、いろんな人に対して「母性?」ともいえる無償の愛を感じられるようになった。

その人の存在や個性をただ認めて、大事にしてあげる。そうすると相手が自分に対して何をしてくれるかではなくて、自分が相手に対してなにをしてあげられるかという気持ちに変わる。

そうなってからはいろんなモノ・コト・人に対して「愛おしいな」という感情が持てるようになった。

いまこのnoteを妊婦健診のモニター検査をしながら書いているんだけど、お腹の中ですくすくと育っている愛おしい存在に会えるまであと少し。

この子が宿ってきてくれてから、女性性が解放されたのか、解放されたから生命を育むという覚悟ができたのか、どちらかはわからないけれど、とりあえずいまは目の前の愛おしい存在にたくさんの愛情を注いでいきたいなと思う。

長いつぶやきおわり。





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