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約8年勤めた会社を辞めた日と、それからのこと

退職の意向を伝えてから最終出勤の日までは、目まぐるしかった。実際に退職が決まってから2週間ほどで最終出勤という怒涛のスピードだったので、引継ぎやら挨拶やらでほとんどの時間を使ったし、挨拶しそびれた人もいて申し訳なかったな。

最終出勤の朝、すでにオフィスの空気は違うもののように感じた。慣れ親しんだ場所なのに、なんとなくそわそわして、よそよそしい雰囲気。別に嫌な態度をとる人がいたわけでもないけれど、ここはもうわたしの居場所ではないんだなと思った。

いつもなら後輩たちが代わる代わる仕事の相談や決裁を取りにくるのだけど、その日はとても静かで。別にそれが悲しいとか寂しいとかではなく、わたしがいなくても仕事は回るのだと思えて嬉しかった。仕事に未練なんてない。でもわたしがいなくなることで心労や負担が増える人が確実にいる中で、必要とされていないことに酷く安心した。最後の楔が解けたようだった。

定時後に全体の前で退職の挨拶をしたときは、まず最初に謝罪をした。ただでさえ人員不足で残業が増えている中、さらに負担をかけてしまうこと。「わたしについてきてほしい」と自分で言った矢先に、辞める決意をしてしまったこと。
それでも可愛がっていた後輩たちが自分勝手なわたしの決断を尊重してくれたのは嬉しかった。寂しいと泣いてくれた人もいたけれど、わたしは涙さえ出なくて申し訳なかったな。わたしにとってそれほど大切なものが、この会社にはもうなかったから。

大切なものが、確かにあった時期もあった。

上司から酷い嫌がらせを受け孤立していた時、たった一人わたしを助けてくれた人。他部署の先輩から嫌がらせを受けた時、間にたってわたしをかばってくれた人。後輩からも嫌がらせを受けるという非常事態の時に「何かあったら守るから言えよ」と言ってくれた人。(振り返ると多方面から嫌がらせを受けてばかりだったようだ。)
この人についていきたい、と初めて思えた頼れる大好きな先輩。いつも一緒にふざけて助け合えたかわいいかわいい後輩ちゃん。

でもみんな、もういない。一緒には働けなくなってしまった。

大切なものが何もない場所で、喪失感を抱えながら働くのはもうわたしには限界だった。いつのまにか誰かに縋ることでしか働けなくなっていて、なのに縋る人すらいなくなって。そのうえ謎の責任感の強さから「この上司から後輩や部下を守らなければ」という使命感に苛まれていたから、わたしはわたしでなくなっていた。誰もわたしを守ってくれないのに、わたしは沢山の人を守らなければならなくて、最早何のために働いているのかわからなかった。

だから最後、オフィスを後にするときは、荷物を詰め込んでパンパンになったリュックの重さも感じなかった。もうここにこなくていいんだって、今までの辛い記憶や大切だったものも何もかも、手放してしまえることが嬉しかった。もう誰かに縋ることも誰かを守る必要もないんだって、わたしのままでいられるんだって。申し訳ないけれど、それだけは、涙が出るほど嬉しかった。


・・・


有給休暇も消化し、完全に会社を退職してからしばらく経った。転職活動も無事終え、入社日までは人生の夏休みのような日々を送っている(資格取得の勉強もしなきゃいけないんだけどね)。退職してから知ったのは、社会の広さと、会社という存在の大きさだった。新卒から約8年も同じ会社にいたから、わたしにとっての社会とは、その会社がすべて。きっとわたしの価値観は、とても狭くて偏っているのだろうと思っていて、わたしの想像した以上に、社会は広くて大きいのだと知った。転職活動や、内定先とのやり取りの中ですらそれを感じるのだから、実際に働き始めたら国境を越えたレベルなんだろうな。それが楽しみであり、怖くもある。

面白かったのは、16パーソナリティという性格診断をやってみた時のこと。前職で働いていた時のわたしはひたすら内向的でルール重視の性格という診断だった。それが退職後に受けた時には、真の自由人、という診断結果に変わっていた。多分本来のわたしは、後者だったと思うのだ。それが如何にわたしを縛りつけていたのか、あからさまに出て驚いた。


わたしは、わたしのままで、わたしのために働きたい。誰かに縋ることなく、誰かを守るという重荷を背負うこともなく。ただ自分のために、働くんだ。




世界はそれを愛と呼ぶんだぜ