見出し画像

人は生まれながらに不平等だ。人生は不平等を認めることから始まる

いわゆる親ガチャ失敗とか、生まれ落ちた大地(環境)がたまたま劣悪だったとか…

そこを認め受け入れることから人生は 始まる

人は平等だと主張できるのは生まれ落ちた後の「人権」の話だ

人間としての権利は平等だが、産声と同時に引く「くじ」には当たり外れがある

その当たり前の事実をまだ認められない人がいる。

認められずに、嫉妬、誹謗中傷にエネルギーを注ぐ人がいる。

スタートラインは、みながゼロから始まるわけではない。

間違いない。あきらかにゼロではない。

残念だが、マイナスから始まる人生はある。


私たちは生まれるときに、親や環境、DNAといういろんなくじを引いて生まれてきたのだ。

経済的に裕福で性格が良好な親の家庭にうまれて愛されて育った人と

経済的に貧しく毒親に育てられた人は、前者が当たりくじで、後者がはずれくじといえるだろう。

生まれつき美しい顔かたちを持って生まれる人と、そうでない人。


北朝鮮や発展途上国に生まれた人と、日本に生まれた人。
あきらかに日本に生まれただけで「当たり」である。


不幸から生まれてきたと思うひとでも、ある側面からみたら当たりくじをいている。

この文章を読めているということはつまり、日本人なのだからその事実だけでも強みである。


それなのにそのわずかな強みをなぜ生かそうとしないのだろう。

不平等に生まれてきてしまったそのハンデの補充を
神様や国や高所得者からしてもらおうと、躍起になっている

もちろん身体障害で、生涯介護が必要な人などは国の力によって助けるのが正解かなと思う。


しかし、努力次第でそのハンデを超えられるのに自らの足と手で超えようとしない人に関しては見ていて辟易する。

親が毒親だった。愛されなかった。醜く生まれた。そんな理由があっても、それを挽回するほどの圧倒的努力で勝利を勝ち取ればいいじゃないか。

スタート地点が違っても挽回することは必ずできる。

さらに、幸いなことに
人生は"ふりこ"のように不幸が多ければ多いほど、感じる幸せの分量も多い
(なぜなら幸せとは、不幸とのコントラストでのみ感じ得るものだから)


あまり不幸もなく、挫折も苦労も、屈辱もなく生きてきた人は、感じる幸せの分量もソコソコなのである。
つまり、光と闇の関係。
ずっと昼間のようなぬるい環境で生きてきた人には、闇にぽっと浮かぶ 希望という名の星の美しさなど知ることがない。

画像1



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?