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国立研究所からスナックまで働いてみた話

前置きとして書いておくと、私は、感情的で衝動的な言動をする人間だ。ただ、一方で俯瞰して物事を眺めるクセがある。

自分が興味の湧いたことは、とにかく片っ端からやった。

ITベンチャー企業のヘルスケアアプリ開発をしていたときも、栄養士をしていた頃も、シェアオフィスで働いていたときも、研究所で働いたときも...
「真理のようなもの」を突き詰めることがクセになっていた。
「なぜこんな酷いことが起こるのだろう」
そう感じることがあると、その原因を探してはその原因の原因・・・と延々に考え続けた。

そんな自分を見て、
「研究者気質なのかもしれない」と思っていた。
だから、研究所で働いてみようと思った。

「人間の野蛮さ」

国立研究所の研究補助員になってみたが、1,2ヶ月ほどで行くのをやめた。
ネズミを虫取りかごくらいの小さな場所に閉じ込めておく光景を、実際に目の前にしたときの感情はなんとも言えなかった。当時23歳の私は今更ながら「人間の野蛮さ」にまざまざと気付いてしまった。

こんな生命の犠牲の上に成り立つヒトの命など、至極愚かでとるに足らないものだと本気で感じた。こう感じる私はきっと、反出生主義だろう。

目の前の事象を目の前にして、絶望に絶望を重ねながらも「人間とは何なのか」ということばかりを考えていた。

いかに「ヒトが、我が物顔でこの世界を人間中心で生きているのか」が分かり、そんな自分にも嫌悪した。そして、"それ"に気づかない研究所の室長や研究員にも嫌悪を抱いた。

...

結局、「退屈」に耐えられないだけ

それから1-2年後、フィリピンに行くための資金を稼ぐために、働こうと思い、バイトを探した。
しかし、探してみたが、どの仕事も過去の学生時代ないしはフリーター時代にやったことのあるものばかりで興味がわかなかった(これまで計2-30コのバイトをしたことがあった)。

だけど、スナックなら働いたことがなかったので、予期せぬ出来事が起こりそうな気がした。偶発性がありそうな職場だと思った。

そして、スナックに通う人がどんな人たちなのか、スナックという文化について知りたいとも思っていた。

それは単純に知らないことを知るのが好きだったことに加え、「自分で体験しない限りは、何一つとして語れない」と思うタチだったためだろう。

どんな話をされても受け流せると自負があり、大抵何が起こっても驚かない自負があったため、それを試すにもスナックは絶好の場だった。

ただ、本当に極稀にきた酒癖の悪い高齢男性の話ほど、退屈で不快なものはなかったが。自分にも抵抗したくなるものがあるのかという発見がおかしかった。

やはり、振り返っても思うのは、「退屈」だと感じる選択は好んでする訳がないということだ。
私は、仕事以外に特段興味の持ち続けられる対象が少なかったからか、仕事で「退屈」を感じることに耐えられなかった。だから、自分のアンテナに引っかかるものの所で働いたりして、実際に体験をするということに余念がない。

    

過去のことがなかなか思い出せなくなってきている気がして、思い出したくて、こんなことを書いていた。こんな取り留めのない話を、読んでくれてありがとう。


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