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本が「この世は生きるに値する」と教えてくれた

私にとって本は、生きる上で人生の”点"のようなものだった。

たとえば、今後の人生を点と線だとしてみる。
すると、点が"人生の転機"となり、線が"未だ見ぬ人生の空白部分"となる。

ある本と出逢う前の私は、今より人生の少し先の点が薄っすらも見えないことに絶望していた。
生きる気力が湧かなかった。

しかし、そもそも人生は予測不能なものだった。だから、”点"が見えないのは当然なのだ。
...となると、自分で自分を絶望させている以外に無いのだ。

誰にも未来のことはわからない。
転じて、人は"わからない"ことに生存本能的に恐怖を感じる。
だから、未来という"未だ見ぬ人生の空白部分"には不安を抱きやすい。

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空白の捉え方

"未だ見ぬ空白部分"の捉えようによっては、孤独で不安なとき、良からぬ想像を膨らませてしまうフィールドともなり得る。

きっと、ひたすら虚無感を感じていた少し前の私は、"如何様にも描きようのある空白"に苦しまされてしたのだろう。

「空白」は、あればあるほど、可能性は広がる。
ただその"可能性"を、前向きに捉えるか、後ろ向きに捉えるかで、"可能性"の意味合いも変わる。

『自分で何でも描ける自由な空白』
『何も描ける自信が無く、虚しさだけを生む空白』

くうはく【空白】紙面などの何も書いていない部分。転じて、むなしく何もないこと。

後者で捉えていたときは、先が見えないことに絶望していた。
もっとも、前者で捉えていたら、先が見えないことはむしろ前向きな意味合いに取れると思うのだが。


前者で捉えられていたら、前向きな”点"(人生の転機)を想像できたのだろう。
後者で捉えた私は、後ろ向きな”点"(人生の転機)を想像して絶望したのだろう。

ただの虚しさを生み出すものでしかなかった空白だった。

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そんな私だったが、
一冊の本に出逢ったとき薄っすらだが、前向きな”点"が見えた。

そのとき初めて、「生きる価値のある世界かもしれない。」と思った。

本の登場人物の女性の思考や振る舞いなどのすべてが自分と瓜二つに重なり、「この世界なら生きてみたい。」と思えた。

「生きる価値があるかわからない世界だな。」と嘆いていた私にとっては、とてつもない一冊だった。

何をしても変わりようの無かったものが、自分の内から静かに変わり始めるのを感じたことが分かった。

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その小説については、過去に書いた。

24年間の人生で初めて『自分の生き方は間違ってないのかも知れない。』と思えた小説|夏菜


幸せと孤独を腑に落ちる一言でまとめた小説に出逢った【マチネの終わり】|夏菜


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言葉はハコでしかなく、中身を揃えるのはヒトだ

"空白"のように、言葉とはヒトの解釈によって、如何様にも捉えられる。

だから、言葉というものは、ただのハコに過ぎず、"ものを入れる"という役割だけを従順に果たすのみだ。ものを入れるためにある。

言葉も、"意味をつける"という役割だけを忠実に果たすのだろう。きっと、意味を入れるためにある。

いみ【意味】
行為・表現・物事の、それが行われ、また、存在するにふさわしい、価値。

だから、中身の入れようによっては"虚偽にも真実にもなり得る"のだろう。

これはきっと、この世界も、人生も同様なのだと思う。

だから実は、人生も、この世の中も、ただのハコに過ぎず、何を創り出していくかは、私たちに委ねられている。


読んでくれて、ありがとうございます。ではまた!

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