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人生初で最大の迷走期、海外に逃げようとした2020年に出逢えた"規格外なオトナたち"

今まで、どんな「夏」を過ごしてきたかと巡らせてみたが、"ありきたり"な夏しか思い出せなかった。

きっとこれは、「夏」に限らず、「人生」というスパンで見たときにも同様に言えることだろう。

これといって、パッと思いつくものは、人生において多大な影響をくれた体験のはずだ。

生きていると、自分の視点を良くも悪くも変えてくれる尊い瞬間に、ときたま出逢う。

今パッと思いつくもので、2つほどある。
25年生きて、2つほどしか思いつかない。

だが、そんな私にとっての2020年の夏は、その2つに仲間入りできそうな出逢いがあった。
それは、「きっと"これからもずっと思い出すのだろうなぁ」と思えるものだった。

   

人生最大の迷走期

私は、今まで「迷走」をしたことがなかった。

ずっと、そのとき"やりたいこと"を明確にして進んできた。そしてなぜか、人と縁もあって、"やりたいこと"ができる環境にいた。

だが、ある日初めて、"やりたいこと"も、そのための環境も、見失った。

自分を見失った私は、今までにないくらいの喪失感に襲われた。

「自分が何者なのか」
「本当は何がやりたかったのだろう」
「私はなんのために生きてるんだろう」

そんなことばかり考えていた。

そして、noteばかり書いていた。

   

これは、2020年1月の話だ。
当時の迷走した結果、私は、私の心を救ってくれて、人生を変えてくれた思い入れのあるフィリピンにホームステイしに行くことを決めた。

    

コロナで白紙になったフィリピン行き

私は、2020年3月に、フィリピンから日本に帰国した。フィリピンのターラック市にあるホームステイ先からだ。

ホームステイ後は、本当はフィリピンで4月から知り合いのところで働かせてもらおうと思っていた。
だが、コロナの影響で、その話は保留となった。(実質、白紙に戻った。)

   

そのときの私の心境といえば、

「日本で仕事を探さなきゃいけないのか...。」
「適合できない社会に、また戻らなきゃいけないのか...。」

私の心は憂鬱だった。

   

仕事探し

どの仕事も、つまらなそうに見えてしまって、気力が沸かなかった。
決めていたフィリピン行きが無くなった私は、無気力に近い状態だった。

「これから、どうやって人生を決めていったらいいのだろう。」

「働かないでこのまま、しばらく実家で迷走させてもらおうか...。」

そんな考えが頭を巡らせていたとき、母から求人の載ったチラシを渡された。

「この事務の仕事はどう?」

5月からで約3ヶ月の公的な施設の事務の仕事だった。(公的な所なので、詳しくはあまり書けなくて申し訳ない。)

そのとき、人生を絶賛迷走していた私(きっと、今もそう)は、"今の自分"について自分なりに考えた。

すると、「自分についてもっと知るためにも、もっと世の中のことを知りたい。」と思ってることに気づいた。

そんな結論にたどり着いた私にとって、その仕事の中でも、確定申告が見られることに魅力を感じた。人の職や年収が見られる。

   

それまで、広く世界を知ろうとしていた。
例えば、海外の国の文化や、歴史など、そんな風に、マクロに捉えることが多かった。

マクロに知りすぎても、一向に"自分"はわからなかった。

だから、迷走の闇にハマってしまったのだろうとなんとなく理論づけていた。

だからこそ、「もっと一人の人単位で、人を知って、世界を知りたい」と思った。

そんな私には、ピッタリな仕事に思えた。

     

この仕事を見つけたときは、まさか、そんな場所で自分の視点を変えてくれる出逢いがあるとは思ってなかった。

     

規格外なオトナたち

私にとって、"規格外なオトナたち"との出逢いとして挙げるとすれば、3人いた。

サイパンに婚約者のいるKさんや、40代で若すぎる価値観を持つMさん、話を聴いて受容する力がズバ抜けてるSさんだった。

彼らについて話すとキリがないので、以前Kさんについてnoteで書いた記事を載せておこうと思う。


   

中学の部活動の仲間ような同僚

仕事の空き時間に、よく同僚5~6人とカードゲームをするようになった。
主に大富豪をしていたが、以前noteに書いた価値観カードもやって遊んでいた。

仕事の空き時間も、仕事が終わった後も、買い物に行ったりして、時間を共有した。

感覚としては、中学の部活動の仲間と遊んでいる感じだった。

日々取り留めのないことでも、談笑して共有して、笑える毎日に、安堵できた。
第二の学生生活が来たような感覚だった(笑)

きっと、こういう場所が現代人には足りていなかったんだなーと腑に落ちた。

中学の頃の部活仲間に例えたが、部活仲間とは、また違う面もあった。

それは、"真剣に人生の相談ができた"という所だった。

   

オトナの真剣な人生相談は、中々できない

ハタチを超えて所謂"オトナ"になると、中学生の頃と比べ、人生経験が増えてきたことで少し悩みが複雑になる。

そんな時に、思っていることをほぼ全て話せて、納得感がある人生相談ができる相手というのは、なかなかいないものだった。

だが、この人生最大の迷走期だった私が、諦めかけて、仕方なく働いた職場で、そんな人に出逢えた。

何かの巡り会わせだと思うほど、どこか辻褄が合うのを感じた。

    

   

だから、この夏は私にとって特別だった。

   

「生きていれば、良いこともあるんだなー」と思えた出来ごとだった。

私のnoteを読んでもらえてる人ならわかってもらえると思うのだが、これだけ迷走して、虚無感や喪失感に苛まれた私でも、少し光が見える瞬間が一瞬でもあることが分かった。

だから、「今"自分として生きること"を諦めるか否か迷っている人がいたら、諦めても良いのだが、こういう例があることは知っておいてほしい。」と想っている。

    

読んでくれてありがとう、ではまた!

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