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青春永代供養 淡い話編

0.はじめに

高校時代は思い出したくない事が多く、
頭の中で記憶を消し去っていった。

それでも淡い恋した事を夜更けにふと思い出し恥ずかしくなった。 

そんな思い出もさっさと供養したいと思った。
誰にも話す事でもないし、きっともう覚えているのは僕だけだ。
少しだけ楽しかったから、覚えている範囲で記録に残そうと思う。

1.トリップ・ダンサー

彼女の事は「3号」と呼称しておこう。

3号は幼稚園で一緒だったが、小中と学区が異なっていたので全く再会する事はなかった。そこまで思い出がある人ではなかったが、小学3年生(まだ駄菓子屋もおもちゃ屋もある素晴らしい時代)に公園で虫を探す遊びをして、ハサミムシにビビり散らかした記憶がある。

それから何年も経った、高校二年生にさしかかる高一の春休みの事。
確かY(地元のスマブラ王)を含めた数人で丸太公園で遊んでいた時、誰かの携帯に着信が鳴った。

着信には知ってる友人の名前が表示されていた。イタズラ電話だった。
甲高い声できゃっきゃと笑う声が聴こえる。
Yは訳も分からずだるいだるいと半分キレていた。

「おー今どこいんの?なあ、どこいんだよ?」と誰かがイライラしながら聴くと「えーっと、Hの家だよ」とて電話の主が笑いながら答えた。

電話が終わり、何故か誰よりも早くペダルを逆回転させて姿勢を正した僕は「ムカつくから行ってやるわ!じゃあまた!」と自転車を滑らせた。その時のYの顔はよく覚えていない。頭が女の子の声でいっぱいだったから。

その時ペダルを漕いだのは、どこか遠くから電波を受信しただと思う。

Hの家に近づいたタイミングでHに連絡を取った。今から行ってくると意気揚々とした割にしっかり連絡を取る姿勢が情けなかった。
「今から遊びに行っていい?」

何も起きちゃいないのに浮ついて、
誰とも会ってもないのに始まる予感がした。

2.大人みたいな子供みたいな瞳で

通っていた高校の事は今でも嫌いだ。
いい思い出はこれっぽっちも無く、憎いと感じた出来事ばかりが膿の様に出てくる。中学卒業直後の全能感はあっという間に無くなり、存在は透明になった。

そんな時に再会をした事が自分にとって救いだったのかもしれない。当時はあわよくば付き合いたいと考えるバカ一直線だったが、今は自分に影響を与えた人だと思っているので恩人の様に感じている。いつか会う機会があれば、あの時は楽しかったと感謝を伝えたい。

再び時は遡る。
Hの家に着くと中学の頃の同級生が数人と見慣れない人が居た。

「あー、久しぶりです。」自分以外同じ小学校の人達で少し気まずい俺は畏まった。Hはいらっしゃいと迎え入れてくれた。
「わたし誰か分かる?」と笑いながら聞いてきたのは3号だった。

そこでようやく同じ幼稚園で少しだけ面識があることを知った。
挨拶をした後、大富豪をやって遊んで皆で様々な昔話をして笑っていた気がする。

正直他の人はどうでも良く、もう既に頭が3号で一杯になっていた。
高校生の僕は今よりもヤケに真っ直ぐだったが、アプローチの方法は全く分からなかった。勿論、今の僕も分からないのだが何とか生きている。

「メアド交換しようよ、赤外線通信ある?」

そんな事を言ってきたのは3号だった気がする。大して面白い事も言えぬまま、なし崩しでメールアドレスを手に入れた。飄々としながら、内心ポケモンで言う所のマスターボールを手に入れた気分に酔いしれた。

帰り道が一緒になり、3号と一緒に帰る事になった。マスターボールどころか、気分は殿堂入り。

いろんな会話をして、3号の事がより気になってしまった。
好きな音楽の話をすれば「theピーズ」や「the pillows」とその当時周りで聴いている人は中々いないチョイスだった。ピロウズはたまに聴く程度だけど、高校生の頃聴いてた「please mr.lostman」とか「Happy bivouac」は今も聴いている。

「ピーズは知らないけど、ピロウズのストレンジカメレオンはミスチルのカバーから聴いた事がある!初めて聴いた時に衝撃を受けたよ。」
「ピーズとピロウズのドラムは同じ人なんだけどさ、かくかくしかじかでめっちゃカッコ良いんだ。今度聴いてみてよ。」

団地に囲まれた場所を歩きながら音楽談義で盛り上がった後、何かの拍子で3号は打ち明けた。

「わたし、中学の同級生のメアド全部消したんだよねー。」

どういう経緯か忘れてしまったけど、人間関係をリセットしたかったみたいな事をニコニコして語っていた。今でこそSNSが発達して人間関係に疲れた人がやりがちだけど、当時は今よりも人との距離感は離れていたから「そんな生き方もあるのか、かっこいいなこの人!」と素直に感じた。

家の近くまで送って解散した後、しばらくメールのやり取りが続いた。
3号はヤケにビカビカなgif画像が貼られたメール(当時はデコメールと呼んだ)が送ってくる。それにウキウキしながら返信をした。

返信のタイミングが分からず、直ぐ返せる内容に対しても5〜10分空けながら返し続けた。

当時高校生だった僕にとって、それは春の訪れだった。今となってはメールの内容なんて忘れてしまったけど、きっと楽しかったんだと思う。

3.あの透明感と少年

どこへ出かけた時の帰りなのか、どんな季節だったかも思い出せない。
もしかしたら、拗らせに拗らせた僕に見せた幻覚だったのかもしれない。

でも確かに僕は、その時の事を覚えている。
忘れられない思い出がある。

3号とメールをやり取りする仲になったが、特にそれと言って進展は無かったと思う。とにかく、どうやって自分の望む事になるのかを考えられる要領は持ち得ていなかった。

でも確かに何度か会う機会はあって、先日Hの家で会ったメンバーとサイゼリヤでダラダラ話していたと思う。
その帰り道に今でも脳裏に刻まれている出来事が起きた。

「家まで送るよ。乗ってく?」
俺は二人乗りを提案した。自分だけ自転車を押して帰るより、その方が早く着くからだ。本当はもっと色々話してみたいけど、話すネタが浮かばない。でも、何とか一緒にいる時間を取りたいという弱弱しい発想だった。

「ありがとう。えいっ」
刹那、3号は僕の腰に手を回し、ぎゅっと締めてきた。

「えっあ、」
僕は何とも情けない声で、その行為に驚いて心臓が飛び出そうになった。
3号は笑っていた。
余りに突然だったが、当時何も経験が無い僕はただそれに驚くのみならず、
ものすごく好きになってしまった。なんとまあ単純な男だが、きっと誰だって同じシチュエーションならば同じ様に感じるだろう。

その後の会話はすべて抜け落ちたのだが、勢いで二人で出かける機会を作る事が出来た。

高校生活なんてもうどうでもよかった。
この人が好きで、きっとどこまでも行けるはずだ。
また二人乗りをするんだ。

思春期特有の視野狭窄になってしまった僕は、次会った時に思いを伝えようと腹を括った。

次に会ったらもう会わなくなる事を知らない僕は、それはそれは希望で満ち溢れていた。

4.抱き合わせなんだろう、孤独と自由はいつも

その日は駅の時計台で待ち合わせをした。
前日から楽しみで眠れなく、待ち合わせ時間よりも30分以上早く着いた。
3号と合流し、休日でごった返す雑踏の中、歩みを進めるとおもむろに語った。

「わたしね、前から歩いてくる人には絶対道を譲らないんだ。」
突然の意思表明。

「なんで?」と俺が聞くと「自分が進んでる道なのに、何で譲らなくちゃいけないのかわからないから。なんか自分が譲るのってムカつかない?」と3号は笑いながら言った。

なんと尖っていて、面白い人なんだろうとまたしても惹かれた。

3号と合流して、行ったのは駅近くのミスタードーナツだった。
ポンデリングやエンゼルフレンチ等ありきたりなチョイスを二人で分け合い、僕は当時まだ味が分からないくせにブラックコーヒーを飲んでいた。

会話は、そこまで弾まなかった。
緊張してしまい、面白い話は出来なかった。

ああ、どうすればいいのだろう。
心に投げかけても、何も返ってこない。
頭が真っ白になり、時間は過ぎ去るばかりだった。

あっという間に夕方になり、公園のブランコで二人で話した。
3号は知らないゲームを提案してくれた。

「そうだ、団地の部屋を当てるゲームしよう。私が例えば緑の布団があるといったら、その部屋を探してよ。」
「10階の、左から4番目?」
「そうそう、そこ。じゃあ次はあたしが…」

そんな会話をしていたら日も暮れて辺りは街灯が照らし始めた。
3号は、ふと静かに口を開けた。

「あたしさ、軽音部の先輩から告白されたんだよね。」
「あ、そうなんだ。どうしたの?」
「付き合う事にしたんだー。」
「そ、そうなんだね。良かったね。」

一瞬感じていた春の無限の可能性はあっという間に砕け散った。
僕は、知らない軽音部の先輩と同じ土俵に立つ間も無く終わった。
心の中で咲き始めた桜は、あっという間に排水口を詰まらす小汚い花びらになった。

「じゃあまたね!」

それ以降、メールのやり取りは無くなった。
付き合っているのだから迷惑だと思ったからだ。
というのは嘘だ。本当はもっと色んな話をしたかった。
好きなバンドの話、部活の話、自分のアルバイトの話、学校の話…。
何も出来ないまま、ほんの短い期間の関係は進展せず終わってしまった。
ただただ、臆病で陰気な僕は暫く一人で物思いに耽った。耽った所で何も起きないのだが、その時はそんなふりをするしかなかったのだ。

それでも、あの時自転車を二人乗りした事が忘れられず、人生の節々で想起させられる。それほどまでに、僕にとって鮮烈な出来事だった。

5.足りない頭を、首にぶら下げて

とてつもなください青春が終わり、大人になったある日。
友人からとんでもない事を聞いた。

「昔二人乗りしたーって言ってた子いたじゃん?今は有名人なんだぞ!」

くたびれた大人になった僕と相反して、立派な人になっていた。
詳しくは書けないのだが、名だたる人達と肩を並べて仕事をしていた。

僕は、その人の作品を一切触れていない。
自分にとってはあの時の3号しか知りたくないからだ。
唯一友達から進められた作品はあって、それだけは偶に触れている程度で後は全く知らない。

くたびれた大人になった僕は、前から歩いてくる人に道を譲らない。
もちろん、五体満足な人に対してだけだ。
高校、大学、中学のコミュニティから離脱した。
単純に時間が経つに連れて鬱陶しいと感じたからだ。

3号は短い期間で僕に影響を与えてくれた。
間違っているかもしれないけど、僕にはそのスタイルが合っているのだと思う。

でも、3号はもうあの時の事を覚えていないと思う。むしろ、覚えて欲しいとも思わない。

あの時の思い出を振り返るために、
団地の公園へ向かった。
レンタサイクルのペダルは無駄に軽く、
国道1号線を真っ直ぐに進んだ。

ブランコもベンチも撤去されていた。
まるで初めから無かったかのように、更地となっていた。

確かにここにあった。
団地はあの時のままだ。人こそ少ないが。

思い出の場所はすっかり無くなっていた。
寂しいという感情はなく、これもまた時間の流れによるものだと自分に言い聞かせた。

この一連の思い出は自分だけが覚えていればいいと思う。
仮に再会出来たとして、「あの時は……」などと口にするだけで気色が悪い。もう10年以上空けばそれはもう初対面だ。

あれから10年以上経つとこの思い出だけでなく、他の色んな出来事も徐々に掠れてゆく。
出会った人からも忘れられてゆく。
それが自然の摂理だと思うけど、僕は少し抗いたい。

こうやって文字に起こす事が出来れば、
僕が「だれかさん」に代わっても記録として残す事が出来るから。
僕は何者にもなれないけど、いつどんな考えをしたかって事ぐらいは記録に残していいと思う。

これを見る人はいないと思うけど、
どうか自分の人生に悔いのないよう、時には思い切った行動をしてみるといいと思います。
そして、男女や立場を問わず自分に影響を与えてくれた人のことを忘れずに時には振り返ってみてください。

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