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自分のこころのあり方で世界の見え方が変わるということ

座禅をはじめて体験したのは20代半ばのこと。

京都東山の立派な建物のお寺で
毎週、夜座禅会を開催されていた。
自転車で通うには少し(大分)遠くて
両の手で数えるくらい?通った。

夜の座禅堂は厳かで静かだ。
沢山の人が居るのに静かだ。

はじめてのとき、座禅の作法を教わる。
説明くださったお坊様は
声が通り、ことばをはっきりと発音される
物腰柔らかく丁寧な方だった。
修行に向き合う人格者を思わせる。

説明が終わるとお堂へ。

ろうそくの灯りで
堂内の景色が浮かぶ中へと入っていく。

季節の虫の音や、草花の香り
お堂の線香の香りに触れる。

この場ならでは

の空間、世界観に入っていく。

ご本尊に礼をして
他の方が沢山座っている中
空いている席を目でざっと探し
良さそうなところを見つけると
立ち止まって一段高くなった場に座る。

全員が座ると
お坊様もやって来て
ご自身の席へ座られる。

チリーン

おりんの音で座禅が始まる。
お坊さまは線香に火を灯す。

はじめて足を組む。
もぞもぞしたいが動いてはいけない。
ぴくりとも
少しも
動いてはいけない。

このときの私は、頑なにこう信じていた。
今思い出すと、笑みがもれる。

座禅といえば
お坊様が杓子を持って歩き
少しでも動いたなら
背後から
ばしーん
と力強く叩きつけられ
渇を入れられる。
いたっ
こわっ
そんなイメージだった。

私はそのような目には遭うまい
と意気込んで座る。

少し経つと、お坊様が杓子を持って歩き始める。

来た

反応した私の心臓の鼓動が早くなる。

動くまい

思えば思うほど、体は緊張してくる。
こわばった体のあちこちが、意に反して
ぴくっと動く。

お坊様がこちら側の通路に近づいてくる。
目の端でお坊様をとらえる。

冷や汗が
つつつ

こめかみに流れる。

それから
目の片隅にぼんやり映るはずのお坊様のお顔が
はっきりと鬼の形相のように見えてきた。

先ほど説明をほどこしてくださった
あの柔和なお顔のお坊様である。

どいつの首を取ってやろう

そう言いながら近づいてくるように感じた。

鼓動が早くなり
顔から背中から腕から
身体中に汗が流れ続け、ベトベトになってくる
呼吸がどんどん乱れ
制御しようとするほどに
吸うこと吐くことが大きくなってくる。

心の内は恐怖でいっぱいになった。

私のうしろに

憤怒の形相の

恐ろしい鬼が来る。

来るな

私に気づくな

お坊様は恐ろしい鬼へと姿を変え
今に私を叩きつけにくるかもしれない
私に気がつかず
このまま通りすぎることを
こころの底から願っていた

張り詰めた恐怖の中で
気絶するような心地
永遠に続くような恐ろしさの
一瞬の感覚を感じた。

そしてお坊様は私の後ろをすっと通りすぎ
あちら側へ静かに歩いていく。

こころは極限の緊張状態を抜け

ざぁーっ

ひとときに気が引いていくのを感じた。

お坊様はご自身のお席に戻られた。

その後は足のしびれと戦いながらも
座禅に集中できる平安も心に訪れ
すべては大丈夫なんだ、と
今思い返すと
よくわからない悟りを得た時間を過ごせた。

45分の座禅の時間が終わり

いや、
お坊様
が見送ってくださった。

最初にお会いしたときと変わらない
柔和なお顔
人格者の佇まい。

あれ?
あの恐怖は何だった?
あっけにとられる。

お坊様に感謝の礼をし、帰路についた。

あの当時は
恐ろしくおかしな体験をしたものだ
と、ただ印象深いだけで終わる体験だったが
年を重ねたのちのちに

こころのあり方で
世界の見え方は如何様にも変わるもの

という体験だったことに気がついた。

憤怒の形相は
恐怖に取りつかれた
私の頭が作り上げたもの。
気持ちが落ちついた頃には
こころの平安を味わった。
たった45分の中で起きたこと。

日々、ささいな出来事の中で
世界を取り違えることが沢山あるんだろうと思う。

世界の見え方は、自分のこころのあり方次第。



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