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首に穴が増えた話と心に穴が空きそうな話

書いたつもりでまだ書いてなかったこと。
食道ろう(PTEG)の手術を受ける為に一時転院してきた時の話。
もう一年ちょっと前のことなので記憶を辿っていきたい。

3年前に気管切開の手術を終えた後、必要な栄養を全て口から摂ることが難しくなり、胃ろうの手術を検討することに。
胃ろう(PEG)とは腹部に穴を空けて胃に通したチューブから栄養を流すというもの。
ところが診察の結果、自分の場合は体の変形が激しいので胃ろうを作るのは難しいということに。
そうなると次の手段となるのが食道ろうなのだが、原理は同じで首に穴を空けて食道から胃まで長い管を通すというのがそれ。
ただ、食道ろうの手術には胃ろうとはまた違うリスクがあり他の病院に行って受ける必要があるので、体調が落ち着いたら行こうねというのが当初の予定だった。

しかしそうこうしているうちにコロナの状況が悪化して制限地獄に入り、手術も一刻を争う案件ではないのでいつ行けるのかは不透明に。
じゃあその間はどうしていたのかというと、NGチューブという管を鼻から胃まで通してそこから栄養を流していた。
NGチューブが体に傷をつけない最も安全な方法なので、だったらずっとそれでいいのでは?と思うかもしれないが、そんなに単純にはいかないもので。
チューブ交換の際になかなかスムーズに通らず、毎度ゲホゲホ涙目・鼻水・鼻血・唾液にまみれていたのと、内径が細くしばし閉塞を起こして臨時交換もしていたのでかなり憂鬱だった。
そしてビジュアル的にこれは無いなーというのも正直なところだった。

2021年の秋ごろの比較的コロナが落ち着いていた時期に主治医に「そろそろ転院して手術できませんかね?」と聞いてみたら、あっさりと日程が決まった。
いよいよかーとは思ったが、当初の予定とは違う場所に転院しないといけないのと、それなりに泊数がかかるということで、少し気持ちがブレ始める。
平時であれば家族に介助やコミュニケーションの部分で頼れるはずのところを、病室に入れることができないので、全く知らない場所で一人で頑張る他ないということ。
甘えた話に聞こえるかもしれないが、筋ジス病棟のような設備がある訳でもないので、ナースコールを押せるかどうか等の不安がつきまとうのである。
ナースコールに関しては作業療法士に相談して、携帯式の呼び鈴を押せるように改造してもらって持って行ったが、結果その心配は杞憂に終わる。

そして年の瀬の寒空の中、ストレッチャーのまま病院バスで出発。
コロナ以降まともに外の景色を見たのは初めてだったが、全くもって喜べない目的である。
転院先までの付き添いが長くお世話になっている自分のことを一番よく知る看護師さんだったことに救われた反面、この時ほど『ちょっとマジで帰らないでもらっていいかな』と思ったことはない(笑)
実際に到着してひと段落して『何とかなりそうだな』という感触を得たら、友達に「可愛い看護師さん探して来るわ」なんて言っていたことを思い出す余裕も出てきた。
どうしても介助面でいつも通りにいかないのは当然だったが、自分の言葉で話せることが何よりも大きかった。

転院した当日は術前検査で忙しくてあっという間だったが、鬼門だった胃カメラにはやはり苦労した(とは言え想定よりはマシに終えられた印象)
感覚としては手術の方が楽(手術台が硬くて痛いのはあったが)だったし、あとはひたすらテレビを観ているしかない退屈な週末を乗り切るだけだった。
看護師さんたちも楽しく話してくれる人が多かったし、個室だったのでその点のストレスもなかったし、「Ⅿ-1最後まで観てていいよ~」と言ってもらえたのはありがたかった(笑)
そして迎えた帰院の日、馴染みの顔を見た瞬間の安心感といったらもうと改めて。
正直に言うと帰ってからの方が色々と大変だったけど、それは最短コースで終わらせてもらった代償だったんだと今なら思うことができる。

なぜ今これを書いたかというと、先述の付き添いの看護師さんが病棟異動になり今日が最後で、ふと転院のことを思い出したから。
自分が死にかけたあの夜の声がけもそう、何だか大事な時にいつも傍にいてくれた。
付き合いが長い分それは感情が揺さぶられるのも当然だし、『いつまでもこの人に頼り続けるのは自分にとって良くない』という思いで"いつか"に備えてはいたが、やっぱり寂しいな。
でも気管切開後・コロナ以降の苦しい状況の中、『自分はままだまだやっていける』と思えるところまで持って来れた流れであの人はやっぱりマスターピースだった。
ずっと感謝してるし、ずっと尊敬してるし、ずっと大好きだし、これからも自分のような多くの人たちがあの笑顔に救われますように。

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