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【エッセイ】自分のやりたいこと

先日、帰省した際に自分が小学生の時に書いた小説をみつけた。
どれどれと読みながら、なんとなく思った。

自分のやりたいこと、いわゆる”夢”みたいなのって
どうやって自分で判断しているんだろうって。

私自身もやってみたいことを仕事にしたり
好きなことを趣味から始めたりしてみたけど
その中で気づいたことがある。

私の好きなことは音楽聞いたり、映画を観たり、
小説読んだり、ゲームしたりすることだ。
だけどこの中で明確な違いがある。

それはそれを受け手としてだけでなく、
作ってみたいと思うかどうかだ。
音楽を演奏したり、作曲したいか
映画を撮ったり、演じたり、脚本を考えたりしてみたいか
小説を書いてみたいか
ゲームを作ってみたいか、それとも実況してみたいか

振り返ると高校卒業してからは
音楽に関わる学校へ行き、音響関係に就職して
仕事で何年も好きなことを仕事にした。
これはいまの脚本づくりに大いに役立っている。
その後、結婚で自分の状況が大きく変わる転換期となったのだが
このときこの仕事をやめることを決断する。

まだ20代後半だったが、一度家庭に入ってみることにした。
ニート生活は1ヶ月で飽きたが(笑)
私はここでゲーム実況を始める。
これも今となっては面白い経験であり
今後ももっとやっていきたいと思える趣味となった。

そして今は小説を書いている。

さきほど受け手ではなく、それを作ってみたいと思うかが
自分のやりたいことの見つけ方のように言ったが
それはみんな判断できていると思う。
そのあと、そのやりたいことにもっと踏み込むかどうか。
それは誰かの作品を見て、面白いとか感動したとか
そうやって心が動いた瞬間に
「悔しい」
こう思ったら、もっともっと踏み込んでのめり込んでいくべきだと思う。

私は素晴らしい音楽を聴いても
悔しくない。良い!と思って聴いてるだけ。
ギターを弾くのも好きだけど、これは趣味で満足している。
感動する映画を見ても
それを演じたいとか、作ってみたいとは思わない。
ゲームが好きでも
プログラミングしてみようとまでは思わないし
実況は趣味で良いと思っている。
でも小説は書きたいと思う。
良い小説を読んだり、良いシナリオを読んだり
面白い話を見ると、なんだかすごく悔しくて
自分も人の心を動かす話が書きたいって
こころがウズウズする。

小学生の私の小説は、地元を舞台にした殺人事件。
まだひらがなも多かったけど
短くても最後まで書いていることや
きちんと相関図とかも書いていたことは
我ながら頑張ってるなあと笑った。

まだまだこれから。
十数年前の自分でさえ好きなことを頑張っていたのだ。
経験を増やして、もっと成長したいと思う。
今から十数年後の自分が
今の自分を頑張ってたねって言えるように。

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