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【エッセイ】無駄な趣味なんてない

ゲームは1日1時間。
なんて、私も子供のころよく言われた。
そういう親の気持ちも理解できるような年齢になっても、私はよくあるゲームを購入してせっせとクエストを受注したりしている。
むしろ社会人になって、自分で時間もお金も管理できる立場になったからこそ、こんなに自由に好きなことができているのである。

ゲームが好きと言うと半数くらいの人に「生産性がない」「ゲームって楽しいけど意味ある?」「時間の無駄」とか言われる。
じゃあ、そんな人たちがよくいくゴルフに意味はあるのか・・・?
たぶん「ある!」と言うだろう。
趣味なんてのは当事者からすれば面白いのだから、他人がとやかく言うことでもない。つまるところこれに尽きる。

私にとっては「他者の創造物」というだけで鑑賞する意味がある。
私に無いものをそこに見て、自分の解釈や発想の幅を拡げることができるのだ。たぶんそういうのは日頃アンテナを張っていないと気が付かない。
郵便受けに入っている近所の店のチラシでも「このフォントは広告的にどうなんだ・・・写真の配置も不自然・・・でもなんか見ちゃうなあ」とかいいながら捨てたりする(捨てるんかい)

美術を見るのも、その絵自体の意味というか、どうしてこの絵を描いたんだろうという発想の方が興味があるかもしれない。
自分以外の人間がどういう思考をしているのか、とても気になる。
そう思ってくると、他者と交流を持つ趣味はすべて無駄ではないのかもしれない。

極端なことを言うと、サイコパスに非常に興味がある。
自分とはかけ離れた思考。よくサイコパス診断なんてあるけど、あの答えが全く予想できないものであればあるほど興味が湧く。
人間というのは世界で一番複雑な生き物だ。

「他者」というのは人間に限らない。
動物園などでほかの動物を見たり、習性を知ったりするのもとても面白い。
人間には理解できないことを日常的にしている動物や、人間に出来ないことができる動物がたくさんいて、たぶん全て知るのは世界中の音楽を全部聴くってのと同じくらい不可能なんじゃないかって思っている。

この辺りまで感性のアンテナを張ると、無駄な時間というのが自分の中でなくなってくる。
日々、自分の周りでは小さな変化が起こり続けていて毎日平凡だと思っている日常も、実はたくさん不思議なことが湧き起こっているのだ。

さて今日はリングフィットでもしよう。
最近私のウエストにも小さな変化が訪れているようだから。



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