「人を傷つけないお笑い」なんて存在しない

Aマッソの「大阪なおみ漂白ネタ事件」から金属バットのネタに飛び火、ツイッター炎上大議論が巻き起こることにより、「人を傷つけない笑い」という概念が持て囃されるようになって随分経った。

正直に、個人的な意見を言わせてもらえば「万人を一切傷つけない笑い」などそもそも存在しないと思う。何かをイジって笑いを取れば、その対象に該当する人間は傷つくし自虐もまた然り。
私は非常に共感能力及び自己肯定能力の低い人間であるため、自分に該当する欠点をイジるネタを観たところで、むしろ「あるある」的笑いに結びつけることの方が多いのだが、以前観た演劇集団が、作中、伊藤詩織さんのレイプ訴訟事件をイジった小ネタを挟んできた(しかも比較的ホットな時期)ときには「もう二度とこの集団の作品には近づくまい」と強い嫌悪感を持った。女性団員による芝居だったので余計に悲しかった。個人的な体感ながら劇場の空気も多少ピリついたように思うが、しかし該当作品を観た観客の中には女性も含め、その小ネタを絶賛していた人間もいたようだ(あまりにどうかと思ったので退出後速攻ツイッターをサーチした)。
このように、作中どのポイントでムカつくかとか傷つくかとか、そんなものは人それぞれであるし、結局「人を傷つけない笑い」即ち「自分が傷つかない笑い」であるにすぎないと思う。
ここを突き詰めると、それこそ「表現の自由展」に全裸で乗り込む羽目になるが、例えば昨年末のM-1グランプリから「人を傷つけない笑い」の代表格として名を挙げられている「ぺこぱ」のお二人。
お二人のネタは当然M-1決勝に残るべくして残ったクオリティだと思うし、お客さんが演者の1/10人しか居ないようなエントリー制ライブにも積極的に参加してブラッシュアップを続けていた様子も存じ上げているから、「おらが村(※クローバーライブ)」から有名人が出た!という興奮はもちろんあるのだが、「ぺこぱ」のネタで傷つかなかったかと問われると、私は若干傷つくというか、胸が痛むのである。

私は自身を分析するに、「言ってはいけないことと言っていいことの区別を推し量る能力」が非常に低いと思う。「そんなものはお前のnoteを読んでいればわかる」と一蹴されること間違いなしだが、この性質、今年引いたおみくじで「口は災いのもとであるからお前は少し言葉を慎め」と指摘を受けたくらいだ。神様にまで見透かされている。

とはいえ、私自身もこの性格と30年以上付き合ってきて、その自覚がないわけではない。だから人と実際に会話するときは、これでも結構「褒める」。それでも我慢できなくなったら「露悪的にでも褒める」等がんばっているつもりだが、元々、リアルにお口にチャック付けた方がいい失言野郎であるからして、何をどう表現したら相手を傷つけないかと日々悩んでいる。
「言ってはいけない」ことを言わないように注意して生きるというのは「言ったほうがいい」ことを伝えるのにも躊躇して生きていかなくてはならないということだ。そういう、私のような人間は、日々綱渡りをしながら生きているようなものである。「言ったらダメ」なことを発言するのは勿論良くないが、「言ったほうがいい」ことも当然、「言ったほうがいい」のだ。会話の中で明らかに自分をdisられたら怒った方がいいし、相手が間違っていることをしたら指摘すべきだし、親戚の集まりでジジイに結婚を促されたら相手にAGAを薦めるくらいの仕返しはしてもよろしい。その他諸々、自分が他人に明らかに不快な思いをさせられたらそれは基本的に「怒ったり伝えた方がいい」のである。
しかしてその差が明確にわからない者、過去に失言でやらかした者は、その不快が自分の考えすぎなのか他人の落ち度なのか、咄嗟に判断できないことがある。
だから「これは他人を不快にするから言わないでおこう」という自戒が強ければ強いほど、「これは言っていいヤツなのか」と警戒心も強まるのだ。

「ぺこぱ」の話に戻るが、お二人のネタが「人を傷つけない」とされているのは、「シュウペイ氏のボケを受けた松陰寺氏がツッコミを入れようとするも自己完結に帰結する」というところにある。その自己完結がおおむねポジティブなところも「傷つけない」ポイントだろう。
しかし私のような人間はこう思ってしまう。
「言っていいことなのかいけないことなのか悩んで悩んで、やっと言った方がいいという選択をすることができたのに、やっぱり自己完結して己の中に押し込めなくてはいけないのか(しかもポジティブに)」。
めんどくせぇ奴なのは百も承知である。しかし、有色人種差別とはベクトルが違うものの、どんなに平和(とされる)笑いにも、やろうと思えば「イチャモン」をつけることは可能なのだ。
人を傷つける、不快にするかどうかというのはあくまで分母の話にすぎない。

身近なところで言うと、ラムズのネタは発声がバカでかいから幼少期に怒鳴られて育ったトラウマ持ちにはNG、ちなていの誘拐ネタはガチで子供を拐かされた親にはNG、ゼウスちかおのネタは船越英一郎のガチ恋オタクをキレさせるのでNG、という可能性もあり得る(個人的にはどれも大好き)。もはやどんなに細心の注意を払っても、個人のネガティブに触れてしまえば「その個人を」傷つけてしまうのだ。女性ピン芸人にありがちな「こんな女いるいる」ネタも、実際にそういう性質の女性が見たら不快に感じる可能性もあるし、日々そういう女性に辟易させられている人間にも「見たくない」と思われてしまってもおかしくないだろう。

ちなみに現役時代、私がやっていたネタは「ジブリのキャラクターを使って下ネタを連呼する」等であるため、ジブリファンにも下ネタが嫌いな人にもNGを出されていた。「ストーカー女が死んでストーカー対象の持ち物に生まれ変わり、相手の陰毛を食う」というネタも持っていたがこれに関してもストーカー被害、死にネタ、陰毛が舌や歯に絡まる時の不快感(このあたりはわかる人だけわかって頂ければいい)と役満を叩き出している。

ちなみに、伊集院光氏はラジオで「人を傷つけないお笑い」ブームについて、こんな風に冷笑していた。
「ぺこぱのあの芸風が『人を傷つけない』を目的に構築されたわけがない」。


※クローバーライブとは中野のstudio twlで定期的に開催されるエントリー制お笑いライブ。地下お笑いシーンの中でも、特に有象無象の芸人が集まることで有名である。支配人はここ20年間変わらない女性だが荒木飛呂彦バリに歳を取らない有能な美人さんだ。

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