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パパ活女子を見て泣いちゃうおじさん

ツイ廃である俺がいつもの如くパトロールに勤しんでいたらこんなつぶやきがバズっていた。


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「さもしい」という表現について個人的に想起するイメージは「フリューの会員である友達に毎回プリクラのDLをねだる乞食女」とかしか無いため、オッサンに時間を売って金銭を授受することのどの辺が「さもしい」のかまず理解に苦しんだ。それにまず「それとおぼしき女性」がどれだけのテンションで四八パパ(仮)にぶら下がっていたのかわからぬまま、年齢差のある男女のツレを目にして即パパ活を想像し、あまつさえ感情移入して泣いちゃうようなおとうさんのメンタルが相当心配にはなる。そもそも「見かけた」程度の関係性でパパ活認定してしまうとは余りにも、し、し、失礼だな〜!と苦笑を禁じ得なかった。

パパ活などというライトな表現が流行し、あたかも「昨今の若い女の闇」みたいなトピックとして問題視されているが、いわゆる愛人業そのものは太古の昔から存在したわけで、それがインターネットの普及によりユーザーの情報共有が明らかにされるに至って、上記のツイート主とかミヤネ屋みたいな、無関係な人間の知るところとなったに過ぎない。

私自身、実父に「パパが欲しいもの買ってあげる」等と直截的に言われた記憶はないが最新ゲーム機は発売直後に買ってもらったし、進学の折は「大学なんて4年間遊ぶつもりで進学しても良いのだしその為に出す金はある」と非常に有難い言葉を頂戴し、またそれを実行したのだが、そんな恵まれた環境(とはいえ実父は20年以上前にレースクイーンと不倫して家を出ているので健全な家庭とは言い難かったが)を鑑みても「パパ活」なる概念への知識、コネクション、ルックス、コミュニケーション能力さえ揃っていれば、正直「やんなかった」と断言することは出来ない。

悲しいかな、どうせ現代女性において「リアルバージンロード」みたいな価値観はごくマイノリティなのである。同級生のチンポしゃぶろうが売れないバンドマンのチンポしゃぶろうが、タワマンで1000億円プレイヤーのチンポをしゃぶろうが同じことではないだろうか。

そもそも「パパ活」の厳密な定義にセックスは含まれていないという。ならば尚更、売れないバンドマンのチンポをしゃぶってる時間があったら不動産会社の社長とリッツカールトンで半ナマ和牛と雲丹全部乗せのバカ料理でもしばいていた方がマシであるように思う。私が父親だったら、自分の娘がヤニまみれのワンルームで売れないバンドマンにタダマンさせている方がよっぽど泣いてしまう。

余談であるがこの「パパ活」にしろ、ごく一般的なコミュニケーションにしろ、「飯にいく」「茶をしばく」という行為が交流を深めるための鉄板アクションであるという風潮はどうにかならないだろうか。個人的に、一番旨い飯の食い方は独りでストゼロをやっつけながらサバ缶をつつきkindleで郷田マモラ『モリのアサガオ』のBLっぽいシーンを繰り返ししがみ続けるヤツである。他人の介入はあまり必要としていない。旦那と飯を食う時ですら「話すことねぇ〜」と思っているこの私だ。金粉の乗ったあん肝のジュレとシャンパンで腹を満たしてしまったら、マルハニチロのサバ缶&直樹×満のバックハグをツマミに1日を終えることが出来ないではないか。

どうせオッサンとコミュニケーションを取って金銭をむしるなら表は18金、裏はプラチナで出来たオセロでも使い、ひと勝負挑みたい。飲み物はいろはすで構わない。菓子は柿ピーくらい出してくれてもいいがその場では食わず巣に持ち帰ってサバ缶と共につまむ。

要はバレなきゃいいのである。


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