見出し画像

《長編小説》全身女優モエコ 第十八話:文化祭演目『シンデレラ』 傷だらけのモエコ

前話 次話 マガジン『全身女優モエコ』目覚め編

 王子役の生徒は自分の出番を今か今かと待ち構えていた。彼はモエコに殴られて抱きしめられたあの日からずっとこの日を待っていたのだ。そのためにモエコのしごきをすべて受け入れた。昨日モエコに台本を丸ごと食って覚えろと口に突っ込まれたときも、彼は喉をつまらせ死ぬ寸前になりながらそれでも台本を飲み込んで台詞を叩き込んだ。また、モエコに一日中王子の格好をしろと言われたときも彼は黙ってモエコの言う通り一日中王子の格好をして王子の台詞しか喋らなかった。

 彼の頭の中は完全にモエコで埋め尽くされていた。モエコモエコと念仏のように唱え、他のブサイクどもになど目もくれず、舞台の袖からその血走った目でモエコを目で追っていた。シンデレラを演ずるモエコがブサイク共にいぢめられるシーンでは思わずステージに飛び出して、ブサイク共をぶっ飛ばしてモエコを助けたくなったし、モエコがボロボロのドレスを着て出てきたときなど興奮のあまり鼻血まで出そうになった。そしてモエコの赤い靴を履いて立っているのを見た時などその余りの神々しさに思わず気を失いそうになった。もはや彼にはモエコしか見えなかった。モエコ演ずるシンデレラを抱きしめるのは僕だ。この王子たる僕なのだ。今誰にも相手にされず広間を彷徨っているシンデレラ、いやモエコちゃん!僕が、この僕が君の王子様なんだよ!モエコの奴隷である王子役の生徒はこうして危険なほど目をひん剥いてステージに現れたのである。

 モエコは王子役の生徒のあまりにもエレガントさにかける登場ぶりに呆れたが、それでも彼の自分を見つめるまるで少女漫画のようにキラリと光る目に心がときめくのを感じた。ああ!今の私はシンデレラ。そして目の前にいるのは憧れの王子様なのよ。さぁ、このシンデレラをダンスに連れて行って! 

 王子はそんなシンデレラの耳元に向かってもう一度囁いた。

「さぁ、僕とダンスを踊りましょう」

 モエコは王子役の生徒に手を引かれながら舞台の中央に躍り出る。ボロボロのドレスに赤い靴を履いたシンデレラ。王子役の生徒はそんなモエコを目の前にして緊張して思わず縮こまってしまう。だがモエコの熱く厳しい視線に彼は我を取り戻しモエコをエスコートする。ああ!エレガントなワルツに乗って踊る二人はなんと美しい事だろう。観客席からもため息が漏れる。モエコは全身で踊っていた。気高く美しく。

 シンデレラはすっかりダンスに夢中になっていた。歓喜の表情を浮かべ王子と夢のようなひと時を味わう彼女。だが時間は刻々と過ぎてゆく。あと五分、あと四分。時計の針は十二時に向かって無常にも進んでゆく。王子役の生徒は目の前のモエコの顔が苦痛に歪んでいるのを見た。ああ!モエコちゃん!そんなに僕と別れるのが辛いのか。だが離さないよ。君は十二時過ぎのシンデレラなんだ。いつまでも僕と共に!モエコはそんな王子役の生徒の切ない視線に自分が施した教育の成果を見た。やはり台本を無理矢理丸呑みさせたのは無駄ではなかった。一日中王子役のセリフしか喋らせなかったのも無駄ではなかった。だがもう別れなければ、彼女は足の裏の激痛に耐えながら王子に向かって言った。

「もう帰らなければいけません。ではさようなら王子様!」

 そしてシンデレラは走りながら去る。だが彼女は去るときに赤い靴を落としてしまった。そう、あの血塗れの靴を。

 王子役の生徒は彼女が脱ぎ捨てた赤い靴を持ってその靴の中を見てそのあまりの異常さに呆然としてその場に立ち尽くした。ああ!彼は全く知らなかったのだ。女子生徒が舞台でモエコに恥をかかそうと尽くそうとあらゆる手を使って彼女をいぢめていたことに。彼はもう一度靴の中を見た。画鋲が敷き詰められた靴の中はモエコの血がベッタリと張り付いている。一人舞台に取り残された王子は舞台の袖に隠れたモエコを探すためにあたりを見回した。そして幕は閉じた。第二幕は終わったのだ。

 幕が降りると王子役の生徒はモエコの靴を持ったまま舞台の袖に駆けつけた。まさかモエコの履いていた赤い靴がモエコの血の色だったなんて!そして彼は見たのだった。ああ!モエコは片方の靴を脱ぎ捨て足を血塗れにさせて倒れていた。倒れているモエコの周りには女子生徒たちが怯えた格好で立っている。彼は今までのボロボロのドレスやら落書きだらけの馬車を思い出し、靴の画鋲は女子生徒たちが入れたのだと思い至った。彼は女子生徒たちのところに近づくと血塗れの靴を突き出して叫んだ。

「この靴に画鋲を入れたのはお前らか!モエコちゃんになんてことをしたんだ!ああ!モエコちゃんの美しい足が傷物になったらどう責任とるんだ!」

 女子生徒たちは王子役の生徒の言葉に答えられず、ただオドオドして立ちすくむだけだ。王子役の生徒はたまらず女子生徒に手を上げようとした時、必死で起き上がろうとしていたモエコがうつ伏せのまま叫んで彼を止めたのだ。

「やめて!彼女たちを責めないで!今では大事な共演者なんだから!まだ舞台は終わっていないのよ!」

 モエコの言葉を聞いて女子生徒たちは一斉に泣き崩れた。ああ!彼女たちはもはや取り返しのつかない愚行に涙を流すしかなかった。自分たちのくだらない嫉妬のためにせっかくの文化祭が無茶苦茶になってしまった。女子生徒たちは血まみれの足で倒れたまま起き上がれずにいるモエコを見て泣き崩れた。モエコ、ゴメンね!私たちは!私たちはなんてことをしてしまったの!あなたが貧乏人のくせに女優みたいに綺麗だからって嫉妬して!ああ!これもあの病気で倒れたシンデレラ役の子が私たちを焚き付けたせい。本当は全部あの子が悪いんだけど私たちにだって罪はあるのよ!

 その場にいたクラスメイトはみんな泣いていた。モエコはまだもうモエコは限界だろう。苦痛に耐えここまで頑張ってシンデレラを演じてきたが、これ以上は演技どころか立つことさえ不可能だ。もう舞台は中止にしよう。皆がこう思った。王子は必死で立ち上がろうともがくモエコに向かってもういいんだよと何度も声をかける。そして女子生徒たちも、その他の生徒たちもみんなモエコに向かって今は休むんだ!と叫ぶ。だがモエコはそんな叫びを振り切って傷だらけの足で立った。

「ダメ!舞台を中止だなんて言わないで!私はシンデレラを最後まで演じなければいけないの!私、シンデレラに誓ったんだから!最後まであなたを演じるって!私最後まで演る!そのためだったら死んでもいい!」

 モエコのその魂の底から響く叫びにその場にいた全員が震えた。血だらけの足で立ち上がりみんなを見つめて彼女は立っている。彼女は本気だった。この舞台で死すら覚悟した。ああ!私は想い出す!彼女はいつも全力投球だった。テレビドラマで病で余命幾ばくもない少女を演じたときも、彼女は少女の役とともに死ぬつもりで演じていたものだ。実際に彼女は栄養失調で病院に担ぎ込まれたのだ。

 だが女子生徒たちは泣いて彼女を止めた。

「ダメよモエコ!そんな足でこれ以上立っていたらあなたは二度と歩けなくなるかも知れないのよ!」

 しかしモエコは空を仰ぎながら決然として皆に向かって叫んだ。

「大丈夫よ!私はシンデレラを演じるまで絶対に死なないわ!」

「モエちゃん!」

 王子役の生徒が叫んだ。彼はさっきから靴の中に貼り付けられている画鋲を取ろうと名一杯引っ張っていた。

「もう少しだよ!モエちゃん!もう少しで君の靴に張り付いた画鋲は取れるよ!ああ!取れた!」

 彼は満面の笑顔で取った画鋲を見せつけた。手は血だらけでもはや王子様の綺麗な手ではなくなってしまっている。モエコは彼に感謝すると同時に舞台をを台無しにしかねないこの行為に呆れてしまった。だけど嬉しかった。彼がこんなにもシンデレラである自分を思ってくれていることが嬉しかった。そして今まで突っ立っていた女子生徒たちも走り出し、包帯を手に駆けつけてきた。彼女たちはモエコの両足を包帯で止める。ああ!なんてことだろう!あれほど自分を憎んでいたこの子達が今私のためにこんなにまでしてくれるなんて!女子生徒たちが包帯が捲き終わった事を知らせると、モエコは姿勢を正してみんなにクラスメイトに向かって言った。

「みんなありがとう!私みんなのために最後までシンデレラを演じきるわ!みんな、最後まで頑張りましょ!」
 

この記事が参加している募集

おすすめテンプレ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?