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物語Vol.2 通り過ぎた5月

この物語の本当の始まりはこちら↑から。

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 令和元年初日に猛烈な焦燥感にかられ、自分に嘘をつく生き方はもうやめて、これからは自分に正直に生きることを決意したわたし。

 一番最初に手放すことを決めた”嘘”は、”仕事”。本当は辞めたいと思いながら、生活のためにと自分をなだめすかして、いろんな言い訳で気持ちをごまかして働いていたけれど、その結果心も体も病んでしまっていた。

 更年期にさしかかり、ただでさえ心身のバランスが崩れやすくなっていたこともあり、婦人科で診察を受け、病気療養への専念を理由に会社に退社の意向を伝えた。時間はかかったけれど、その後無事に退職することはできた。

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 令和という新しい時代、自分に正直に生きることを決めたのはいいけど、その時のわたしには今後の具体的なビジョンやプランは何一つなかった。潤沢な貯蓄があるわけでもないのに、いきなり無職になってしまって・・・。そのことを離れて暮らしている家族には伝えられなくて、ただただ不安と心苦しさでいっぱいだった。

 とりあえず何かしなくちゃと思い、家の中の不用品をフリマアプリやリサイクルショップで売って少しでもお金に換えることに。でもフリマアプリは最初こそ良いものがそれなりに売れたものの、その後は希望金額の半額にしても売れなかったり、売れても手数料と送料をとられたら手元にそんなに入らなかったり・・・。さらに同じモノを出品している人たちとの値下げ合戦で、やりきれなくなるばかり。

 ・・・こんなことで、わたしは生き方を変えられるの?

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 そもそもバツイチ子なしで彼氏もいない。親の世話は弟夫婦任せで、自分は故郷を離れシングルライフ。夢も希望も仕事もないおひとりさまのわたしに、これ以上がんばって生きていく理由が見つからない・・・。

 そんな時にニュースで目にした高齢者の暴走運転による交通事故。かけがえのない家族を失った男性の記者会見に涙しながら、わたしがかわりに犠牲になれば良かったのに・・・と思った。夢も希望も、一緒に幸せになるべき家族もいる人たちの命を奪うくらいならわたしの命を、と。

 でも、わたしには志半ばでこの世を去った父がいて。

 ガンが見つかった時には既に末期で、骨に転移し壮絶な痛みにもがき苦しみ「せめてあと3年生きたい。」と願いながら63歳最後の日にその生涯を終えた父。その3年でどんなことを叶えたかったのか聞いてあげられなかったけれど、無念のうちに亡くなった父の分まで生きることが供養になるだろう・・・。何より、まだお迎えが来てないのに自ら生きることをあきらめたら、あの世で父に張り倒されてしまう・・・。それに母も祖母も健在のうちに、わたしが先にこの世を旅立つわけにはいかない・・・。小さい頃から自慢の姉だと慕ってくれていた弟にもまだ恩返しができていないし。

何だかんだでまだ死ぬわけにはいかない。でも生きてやりたいこともない。

 どうしようもない葛藤を抱えたまま、令和元年最初の一ヶ月はろくに動けずに通り過ぎていった。

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