見出し画像

芥川賞受賞作に対する選考委員としての評価まとめ・石原慎太郎編

「太陽の季節」で文學界新人賞、芥川賞を受賞した石原慎太郎さん。その反倫理的な内容は当時の文壇や若者に衝撃を与え、「太陽族」なる社会現象を巻き起こしたのち、政治家としても社会に大いな影響を与えました。
そんなスケールの大きい男、石原慎太郎が芥川賞の選考委員を務めた期間(第114回〜146回)の、受賞作に対する評価だけを紹介する記事になります。石原さんの選評は全体的になかなか厳しく、そのために受賞作に対しても低い評価を下すことが少なからずありました。

【選評の出典】芥川賞のすべて・のようなもの



第114回受賞 又吉栄喜「豚の報い」

「沖縄の政治性を離れ文化としての沖縄の原点を踏まえて、小さくとも確固とした沖縄という一つの宇宙の存在を感じさせる作品である。主題が現代の出来事でありながら時間を逸脱した眩暈のようなものを感じるのは、いわば異質なる本質に触れさせられたからであって、風土の個性を負うた小説の成功の証しといえる。」

第115回受賞 川上弘美「蛇を踏む」

「私には全く評価出来ない。蛇がいったい何のメタファなのかさっぱりわからない。こんな代物が歴史ある文学賞を受けてしまうというところにも、今日の日本文学の衰弱がうかがえるとしかいいようがない。」

第116回受賞 柳美里「家族シネマ」

「全体の設定がいかにも演劇的で小説としての魅力を殺いでいる。」

第116回受賞 辻仁成「海峡の光」

「氏の作家としての力量を感じさせる幅も奥も深い作品である。人間の心、というよりも体の芯に潜む邪悪なるものの不可知さに正面きって向かい合い厄介な主題をとにかくもこなしている。ある選者はこの男の衝動は理解出来ないし、作者もそれを描き切れていないといったが、理解できぬ人間の本性の部分を理解を求めて描く必要がある訳はない。」

第117回受賞 目取真俊「水滴」

「民話(寓話ではない)の形を借りて五十年前の戦争の後遺症を巧みに描く。他の候補作がみなどこかで文学を(人生を?)なめているのに対して、この作品だけは誠実にテーマに向き合い、しかも充分な技術があるおかげで自己満足に陥っていない。受賞に値すると判断した所以である。」

第119回受賞 藤沢周「ブエノスアイレス午前零時」

「現代的主題を、老女のノスタルジーにかぶせて描いた、なかなか感覚的な部分もある、よくまとまった作品である。」

第119回受賞 花村萬月「ゲルマニウムの夜」

「私は一番面白く読んだ。まさに冒涜の快感を謳った作品で、主人公の徹底した、インモラルではなしに、ノンモラルは逆にある生産性をさえ感じさせる。文学こそが既存の価値の本質的破壊者であるという原理をこの作品は証そうとしている。」

第120回受賞 平野啓一郎「日蝕」

「いろいろ基本的な疑義を感じぬ訳にはいかない。この衒学趣味といい、たいそうな擬古文といい、果たしてこうした手法を用いなければ現代文学は蘇生し得ないのだろうか。私は決してそうは思わない。浅薄なコマーシャリズムがこの作者を三島由紀夫の再来などと呼ばわるのは止めておいた方がいい。三島氏がこの作者と同じ年齢で書いた『仮面の告白』の冒頭の数行からしての、あの強烈な官能的予感はこの作品が決して備えぬものでしかない。」

第122回受賞 玄月「陰の棲みか」

「読み物として一番面白く読んだが、またかという感を否めない。作者が何を訴えようとしているのかがわからない。その限りでこれはただの風俗小説の域を出ていない。こうした社会の最底辺に近い世界を舞台とする作品としては、先に直木賞を受賞した車谷長吉氏の作品の方がはるかに優れて怖いものだった。」

第122回受賞 藤野千夜「夏の約束」

「私にはあくまで一人の読者として何の感興も湧いてこない。平凡な出来事の中で描いてホモを定着させることが新しい文学の所産とも一向に思わない。私にはただただ退屈でしかなかった。」

第123回受賞 町田康「きれぎれ」

「今日の社会の様態を表象するような作品がそろそろ現れていい頃と思っていた。その意味で町田氏の受賞はきわめて妥当といえる。最初に目にした『くっすん大黒』に私が覚えた違和感と共感半々の印象は決して的はずれのものではなかった。それぞれが不気味でおどろおどろしいシークエンスの映画のワイプやオーバラップに似た繋ぎ方は、時間や人間関係を無視し総じて悪夢に似た強いどろどろしたイメイジを造りだし、その技法は未曾有のもので時代の情感を伝えてくる。」

第123回受賞 松浦寿輝「花腐し」

言及なし。

第124回受賞 青来有一「聖水」

「この作家が従来の作品が暗示していた可能性を裏書きして妥当な成長を遂げてきたことを証していると思う。この作者の特質は群像なりかなりの複数の人間たちを描ける力量にあって、それは前回の評にも記したが、良き素材を得れば悪くてもアーサー・ヘイリーほどの作品はものすることが出来るだろうが、今回の作品を読んでその上のレベルの作品をものせる可能性が十分あるものと思った。」

第124回受賞 堀江敏幸「熊の敷石」

言及なし。

第125回受賞 玄侑宗久「中陰の花」

「たいそう重い主題を扱っているが、その視点が僧侶のそれであるという点で説得性がある。現実に僧籍にある人がその職業的体験の中でこうした問題にまともに視点を据えてかかるというのは逆に珍しいし、作者の僧侶としての誠実さを感じさせもする。」

第126回受賞 長嶋有「猛スピードで母は」

「私は受賞には押さなかった。ある種のペーソスはあっても、実はごくありふれたものにしか感じられない。こんな程度の作品を読んで誰がどう心を動かされるというのだろうか。」

第127回受賞 吉田修一「パーク・ライフ」

「なぜかどこか希薄な印象を否めない。しょせん擦れちがいの場でしかない大都会の公園における群像というのは洒落た設定なのに、その切り口が十全には生かされていない。だから強い驚きも共感も湧いてこない。」

第128回受賞 大道珠貴「しょっぱいドライブ」

「少なくとも私は何の感動も衝撃も感じなかった。はたしてこの作品にユーモアがあろうか。強いていえばアンニュイというところなのかも知れないが、私は何の共感も感じない。」

第129回受賞 吉村萬壱「ハリガネムシ」

「一種のデスペレイションはどうにもやり切れないが、多くの国民がデフレとはいえなんとなく満ち足りた錯覚の内にある時代に、逆に妙なリアリティがあり、読む者を辟易させながら引きずっていく重い力がある。」

第130回受賞 金原ひとみ「蛇にピアス」

「私には現代の若もののピアスや入れ墨といった肉体に付着する装飾への執着の意味合いが本質的に理解出来ない。選者の誰かは、肉体の毀損による家族への反逆などと説明していたが、私にはただ浅薄な表現衝動としか感じられない。」

第130回受賞 綿矢りさ「蹴りたい背中」

言及なし。

第131回受賞 モブ・ノリオ「介護入門」

「私は全く評価しなかった。神ではない人間が行う『介護』という現代的主題の根底に潜んで在るはずの、善意にまぶされた憎悪とか疎ましさといった本質の主題が一向に感じられない。各章冒頭に出てくる『介護入門』なるエピグラフもことさらのアイロニーも逆説も込められてはおらず、ただ説明的なだけで蛇足の域を出ない。」

第132回受賞 阿部和重「グランド・フィナーレ」

「私は全く評価出来なかった。主人公の少女への偏愛という異常性の所以が、自分の子供の裸の写真を撮って離婚されたという説明に終わっているだけで、小説としての怖さがどこにもない。複数の選考委員の間で、多少瑕瑾はあっても、この作者にはもうそろそろこの賞を与えてもいいのではないかという声があったが、そうした発想はこの伝統ある文学賞の本質を損なうものではないかと危惧している。」

第133回受賞 中村文則「土の中の子供」

「以前の二つの候補作のように、象徴的でありながら現実的な物体を媒体としての暴力への傾斜という仕組みの方が、むしろ自然な物語として読めたと思う。背景に主人公の幼い頃からの被虐待という経験がもたらしたトラウマが在る、ということになると話がいかにもわかり過ぎて作品が薄くなることは否めない。観念としてではなしに、何か直裁なメタファを設定することでこの作者には将来、人間の暗部を探る独自の作品の造形が可能だと期待している。」

第134回受賞 絲山秋子「沖で待つ」

言及なし。

第135回受賞 伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」

「部分的には巧みで鋭く感覚的なところもあるが、いかに軽く他愛ないものだろうと、離婚という、結婚を選択して選び合った男と女の別離の芯の芯にあるものの重さをちらとでも感じさせるのが文学の本髄というものではなかろうか。」

第136回受賞 青山七恵「ひとり日和」

「都会で過ごす若い女性の一種の虚無感に裏打ちされたソリテュードを、決して深刻にではなしに、あくまで都会的な軽味で描いている。寄宿先の設定も巧みだし、特に、その家から間近に眺め仰ぐ、多くの人間たちが行き来する外界の表象たる駅への視線は極めて印象的で、村上龍氏の鮮烈なデビュー作『限りなく透明に近いブルー』の中の、遅く目覚めた主人公が、開け放たれたままの扉の向こうにふと眺める外界の描写の、正確なエスキースに似た、優れた絵画的な描写に通うものがあった。」

第137回受賞 諏訪哲史「アサッテの人」

「この作品に関する限り、作者の持って回った技法は私には不明晰でわずらわしいものでしかなかった。文中に出てくる『声の暴発』なるものを活字の四倍大の黒い四角で示すとか、最後に『読者への便宜を図るため』として『叔父の肉筆によるオリジナルな平面図』なるものを付記しているのは、作者の持つ言葉の限界を逆に露呈しているとしかいいようない。」

第138回受賞 川上未映子「乳と卵」

「私はまったく認めなかった。乳房のメタファとしての意味が伝わってこない。一人勝手な調子に乗ってのお喋りは私には不快でただ聞き苦しい。この作品を評価しなかったということで私が将来慙愧することは恐らくあり得まい。」

第139回受賞 楊逸「時が滲む朝」

「彼らの人生を左右する政治の不条理さ無慈悲さという根源的な主題についての書きこみが乏しく、単なる風俗小説の域を出ていない。文章はこなれて来てはいても、書き手がただ中国人だということだけでは文学的評価には繋がるまい。」

第140回受賞 津村記久子「ポトスライムの舟」

「無劇性の劇ともいうべき、盛りをすぎた独身女性の日々の生活の根底に漂う空しさを淡々と描いていて、私としてはこの作者の次の作品を見て評価を決めたいと思っていたが、他の作品のあまりの酷さに、相対的に繰り上げての当選ということにした。」

第141回受賞 磯崎憲一郎「終の住処」

「結婚という人間の人生のある意味での虚構の空しさとアンニュイを描いているのだろうが的が定まらぬ印象を否めない。」

第143回受賞 赤染晶子「乙女の密告」

「今日の日本においてアンネなる少女の悲しい生涯がどれほどの絶対性を持つのかは知らぬが、所詮ただ技巧的人工的な作品でしかない。こんな作品を読んで一体誰が、己の人生に反映して、いかなる感動を覚えるものだろうか。アクチュアルなものはどこにも無い。日本の現代文学の衰弱を表象する作品の一つとしか思えない。」

第144回受賞 朝吹真理子「きことわ」

「読みながらすぐにプルーストを想起したが、人間の意識に身体性がないとはいわないが、プルーストやジョイスが苦手な私にはいささか冗漫、退屈の感が否めなかった。ある時点での意識を表象するディテイルの描写にもむらがあるような気がする。」

第144回受賞 西村賢太「苦役列車」

「この作者の『どうせ俺は――』といった開き直りは、手先の器用さを超えた人間のあるジュニュインなるものを感じさせてくれる。この豊穣な甘えた時代にあって、彼の反逆的な一種のピカレスクは極めて新鮮である。」

第146回受賞 田中慎弥「共喰い」

「戦後間もなく場末の盛り場で流行った『お化け屋敷』のショーのように次から次安手でえげつない出し物が続く作品で、読み物としては一番読みやすかったが。田中氏の資質は長編にまとめた方が重みがますと思われる。」

第146回受賞 円城塔「道化師の蝶」

「こうした言葉の綾とりみたいなできの悪いゲームに付き合わされる読者は気の毒というよりない。こんな一人よがりの作品がどれほどの読者に小説なる読みものとしてまかり通るかははなはだ疑がわしい。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?