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比喩的日記「ある意味、しあわせを教えてくれた、カンガルーポケット」

※これは今日(厳密には昨日)あったできごとを、ちがうものごとに置き換え、視点を「私」以外で記した物語のような日記のようなよくわからないものです。あまりながくない、とりのめのない世界をおたのしみください。

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 分厚い皮と身のあいだに親指を突っ込み、ちからを入れると文旦のなつかしいかおりが立ちのぼってくる。ひと房、ひと房、皮を剥き、口に放り込んだ。

 数時間前、彼女はどこでも階段教室に行っていた。どこでも階段は、従来の階段と違って、特殊な紙に絵を描くとそれが現実となってあらわれる階段だ。倍率の問題があるので、免許を持ったどこでも階段作家が設計をする。もちろんレベルがあがれば、階段以外のさまざまなものが描けるようになる。彼女はその作家の養成所に通っているのだ。

 昨夜は、作品の講評日だった。

 どこでも階段講師が、彼女のつくった螺旋階段についてアドバイスをくれるのだ。講評は、そのまま続けていても大丈夫、と元気をもらえるようなモノだった。

 彼女はその後、「どこでも階段作家のカイダンノボル氏を囲む会」に参加する予定だった。彼はどこでも階段作家の巨匠で、彼女の憧れの人だ。公開収録などを予約したこともあったが、そういう日に限って仕事が早く終わらずに会うことはできなかった。

 そのため昨夜のために仕事は早く終わらせ、どこでも階段の設計の精度をあげて、彼にチェックしてもらおうと躍起になっていた。講評そっちのけで楽しみにしていたのだ。

 当日、カイダンノボル氏を囲む会には、巨匠は現れなかった。みんな残念そうに肩を落として飲み屋へ消えて行ったが、彼女はそんな気も起きずに帰路についた。カバンの中に入れておいた設計図の存在を感じながら。

 設計図を眺めながらぼんやりとしていると、カイダンノボル氏の秘書からLINEメッセージが届いた。

 【カイダンノボル氏は、やっかいな事件に巻き込まれそうになったため、自ら作ったカンガルーのポケットに潜り込んでしまいました。ノックをしても応答がありません。試しにカンガルーの母親のなき声を真似てみましたが、ポケットの扉を開けてはくれませんでした。申し訳ございません】

とあった。秘書の涙ぐましい努力に、彼女は思わず頬をゆるませる。

 そんなこんなで、彼女は今家でひとり、文旦を食べている。カンガルーのポケットはどのように設計したのか、眠り心地はどうなのか、妄想しながら。そして彼女は、この時間がとても好きだと感じ、新たなどこでも階段の着想に取り掛かるのだった。

 

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