こんなモノなら伝染したいし、させたいよね。
目の前にアイロンビーズがある。
ピンクやオレンジ色の小さなビーズで、アイロンの熱かたまってキーフォルダーのようにもなる。机の上で、一つ一つがとっ散らかっていると単なるゴミだが、あるべき場所にぽつぽつと固まっていると何らかの意味を持つ。
それって、ライターの仕事に似ている。
文字単体では、何かを伝えるにはか弱すぎる。でも伝えようと思って形をつくったり、ならべかえたりしているうちに、伝わる文章が出来上がったりもする。
いちおう私は日頃、そういうことを仕事にしている。
時に、伝える、という行為は難しさをともなう。同じ言葉を扱うのに、伝える内容や相手によって並び順や空気、そして音、見え方などを変えないといけない。そうやって細心の注意を払っていないと見透かされてしまうのだ。
この前、お年頃の息子とカラオケに行った。彼は絶対にうたわない。恥ずかしいと言って何が何でもマイクを握らないのだ。でも彼は歌がうまい。それに何より、私は彼の歌声が聴きたかった。
どうやったら彼が歌ってくれるだろう、と考えた。
とりあえず「楽しむこと!」と思い、全力でカラオケを歌った。すると最後のほうで息子は、私が歌った髭男の歌を再度入れて「お母さんは歌わないでね」と言ったのだ。最初、わざと下手に歌っていたけれど、ヤマのところで私たちも歌い出すと、負けずと彼もふつうに歌い出した。
「君(の歌声)はきれいだ」と言ってやりたかったけれど、グッとがまん。でも正直、すごくうれしかった。久しぶりに彼が歌ったこと。「歌うと楽しいよ」という気持ちが伝わったこと。
時に「楽しい」は、恥ずかしさに勝つのだと分かったこと。
仕事でも同じで、やっぱり楽しんで書いている文章は強い。相手に伝わりやすいようだ。直しも少ないし、「いきいきしている」というお言葉を頂戴することもある。
文章でもカラオケでも「楽しい」は伝染するのだ。
そういう流行りモノなら大歓迎。私もいろいろな人から「楽しい」をもらって、息子のように恥ずかしがって一歩踏み出せない人でも「楽しい」を分けることで、「なんじゃいな」と前のめりになってくれたらすてきだ。
そういう輪が、ずんずんと広がっていけたらいい。
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