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つぶやきこばなし:ちいさなビッグバンの連続で生まれる「わたしの小宇宙」

こんにちは。あゆみです。
もうすっかり、初夏の陽気になりましたね🌸

少し間があいた “タロット” 記事を再び走らせるエンジンをかけるためにも、なにかお話をはさみたくて、さて、なにを書こうかな・・・と、あれこれ想いをめぐらせてみたものの、なんだかしっくりこず。

うーん。ってなってるときに、わたしという小宇宙のなかで「破壊と再生」が起こっていることを実感したので、記事にしたいと思いました。


▼はじめましてのかたは、こちらからどうぞ♪





無の地点に来てわかったこと


ふんぬ!と生み出した「おとなの子育て理論」シリーズを書き終えて、なんだか「ぽけーっ」となっている今日この頃です。“心地よい放心状態=無” という感覚です。

皆さまにあたたかく見守られ、内側が澄みきるくらい気の済むまでお話することができました。あらためまして、ありがとうございます😊


今回は、ちょっぴりセルフセラピー的な内容になるかもしれませんが、お読みくださったかたにとって、少しでも益になるようにコネコネしてお届けしたいと思います。よろしければお付き合いくださいませ。


◇◇◇◇◇


これまでにも何度かお伝えしたのですが、私は「出す」のに苦労しがちです。

出しづらい理由のひとつとして「ちゃんと話さなきゃ」というのがあると自覚しているのですが、だから、なにかを伝えるときには「ふんぬ!」と、力まねばならなかったのですね。

小出しにするのが苦手というのも、あると思います。ありとあらゆる想いを “小宇宙” に漂わせて、熟成させて、いずれ「ちいさなビッグバン」のように、一気に放流する感覚です。

たくさん力んで表現する作品は、それだけアツい魂が込められているし、勢いがあるので一気に筆がすすみます。クリエイター根性的な視点でみると、これもなかなかにイイのですが・・・ひとつ、気になるところは「どこが発祥になっているか?」ということだったりします。


ひとによっては、楽しさとかよろこびからクリエイティブになれることもあるだろうし、逆に、反骨精神とか怒りを作品にぶつけるようにして、力強く表現することもあると思います。

私の場合は・・・と振り返ってみると、やはり、これまでの人生の「やりきれなさ」を昇華させていることが多いと思います。思うようにいかないことが当たり前のようにあるなかで、時に激しく、時にじっとりと、長い年月をかけて、じっくりとあたためてきた想い・・・これが、燃料になっているのですね。


このような「やりきれなさ」をちいさくビッグバンして、noteで受けとめてもらえて、いったん満足した今。なにを書きたいのかと、フワフワ漂っている今。私はまた、あの “やりきれなさ” に戻らねばならないのかと、ふと、考えました。

いやいや、そんなことはないはず。わざわざ、望まない想いを味わうことなんてありません。じゃあ、なにを燃料にすればいいのかな?と、思うに至りました。


これが、無我夢中に出し切って「無」になった今、実感していることです。




“ちいさなビッグバン” と “誕生”


ところで、ここでは「出す」という行為を「作品」として表現していますが、日常的に私たちは、あらゆるものを出し合って生きていますよね。

たとえば・・・


「言葉や感情、態度」などで、日々、コミュニケーションをはかることの他に。直接的な気持ちのやりとりだけではなく、毎日の暮らしのなかで「服装を決める瞬間」や、「どこに遊びに行こうか」などという、一つひとつの “選択” さえも、ちいさなアウトプットだと言えるでしょう。

ちいさなちいさなビッグバンの一例


出したあとは、どうするのかな。次は、どこから「生まれるためのもの」を引っ張ってくるのかな。

このように考えてみると、「なにを握りしめて生きているか」が、きっかけになるのだと思いました。皆さんは、なにを大切に、日々を送られているのでしょう。また、なにを守りたくて、一生懸命に闘っているのでしょう。


私の場合、これまでは、やりきれなさを握りしめて生きてきましたが、これからは、もっと、別のものを心のまんなかに置きたいなと感じたのです。

さて、なにを選ぼう・・・

まだまだ開発途中なので、言語化が難しいのですが、はっきりとわかることは「なるべく安心して、笑っていたい」ということです。「泣いたり怒ったりするのは、笑うために」という、心のコンパスを持っていたいですね。


まさに、おとなの子育て理論は、私の願望が露骨にあらわれたものだと言えます。こうであってほしいと、こころから願うものなのです。

「すなおな欲望が丸だしです」と公言したからか、今さらだけどちょっぴり気恥ずかしくなってきました(笑)

出し切ってからわかったと言いながら、実は、出しながら、次に欲しいものをアウトプットする準備をすすめていたんだなと思います。こうやって、日々、流れるように破壊と再生が繰り返されているのでしょう。


と、いうことは。

いつでも、その瞬間ごとに、ピンチ(きっかけ)とチャンス(自分改革)はやってきている。

ちいさな終わりとはじまりのなかで、少しだけギアチェンジすることが、“生きかた” を大きく変えることになるのかもしれません。それが、新しい道をつくることにもなるのでしょう。




感情という湧き水の発祥地


移り変わりのタイミングでは、なかなか「ちからが出ない」こともありますよね。アクセルぶいぶいしてた頃のようにはいきません。でも、それでいいのだと思います。

こまめに見直しする時期があっても、いいのかもしれませんね。そして、ある程度方向性が定まってきたら、再びアクセルをゆっくり踏めばいいのです。


というわけで、しばらくは「穏やかな無」に、ぼんやりと浸りたいと思います😊


ここでもうひとつ、思い出しましたが・・・私は、いつもなにかを考えていないと気が済まないという性質が「ありました」。だから “無” に慣れていないのです。

それはきっと、心配なことがたくさんあったからだと思います。たくさん「なにか」を握りしめて、安心したかったのですね。でも、もういいよね。きっと大丈夫です。そんな気がします。


怒りもやりきれなさも、苦しみもかなしみも。きっと、根底には「私やあなたを守ってあげたい」というやさしさが潜んでいます。このように、感情の湧き水は、ただそこにある「愛」を発祥として、さらさらと流れてくるのでしょう。

感情という湧き水の発祥地


湧き水のお話から、また、大切なことがふわっと浮かんできました。いったん、無になってから湧いてきた、私のやりたいこと。でも、もうすこしだけ、小宇宙のなかで自由にふわふわと漂わせてあげたいです。

改革の最中とは言え、やっぱり、過去のやりきれなさから生まれた “重たくてアツい想いたち” も大切なままですし、まだまだお伝えしたいことがたくさん控えています。いろんなカタチの「愛」を、いろんな熱量で流していきたいです。


◇◇◇◇◇


セルフセラピーにお付き合いくださって、ありがとうございました。

次にどかっと書きたいシリーズものを、どんな想いで綴るのか、なにをお伝えしたいのか。どんなふうに、生きていたいのか。

書くなかで心と頭がスッキリしてきて、少し、方向性が見えてきたような気がします。アウトプットって大事ですね🌸大切なきっかけと場所を与えてくださったnoteさんにも、いつか、恩返しします。


次回は、最近やっとスタートできました「タロットセラピー」を提供するうえで、改めて感じたことを振り返っていきます。少しずつ、ゆっくりとエンジンをあたためていこうと思います。

よろしければご覧になってくださいね😊




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