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文トレDAY41 9- 転職・転職・天職

「会社を辞めると辞め癖がついて長く仕事が続かなくなるよ」
大学卒業とともに就職し、たったの3ヶ月しか仕事をしなかった会社のその時の上司が私が会社を去る日に言った言葉だ。
たしかに、おっしゃる通りだ。ただ私の場合はちょっと違う。
「倒産する会社に就職すると倒産する会社に就職する癖がついて長く仕事が続かなくなるよ」
だった。
この時点で
会社は
消火器会社 自主退職
OA機器販売会社 自主退職
情報端末の営業会社 倒産
映像制作会社 倒産 

かたやプライベートでは
西成に生まれる
立ち退きにつき、東住吉に移転
父の会社が倒産したので生野に夜逃げ
堺市に移転

若干26歳にしてもう立派な職務経歴書ができそうである。
不運と言えるか言えないかといえば、不運だと客観的には言えるかもしれない。自分の不運を嘆いて街角の占い師に相談しても、話は聞いてくれるが、屁のつっぱりにもならない、お金と時間が無駄だ。
このときの私は前向きに次の仕事(ワクワク)を探していた。
懲りない人間だ、親はあきれていたに違いない。

照明会社
求人広告やハローワークで地に足のついた仕事を探すべきだったのかも知ない。でもそれができない理由は潜在的に他にはないものを追い求めていたのだろう。
倒産した情報端末の営業会社の社長のツテで(ろくなツテではないなぁ・)
大阪の千里中央にある照明会社にアルバイトとして働く。
名前はTEとしておこう。

この仕事は、私が照明の業界に足を踏みいれることになった記念すべき会社となる。いま、私は62歳、照明の仕事を継続中。

ディスコが当時ブームだった。その会社は、ディスコの照明と音響設備を設計、製作、そして施工までする会社だった。
やっている事業内容の割には、質素な事務所と作業所だった。私は図面を描くバイトとして採用され、平面図に照明器具を書いていた。図面を描くのは大学生時代、鉄工所でのバイト以来だったので、そこの上司にいろいろ聞きながら進めようと思ったのだが、会社にはほぼいなかった、ほぼ放置状態であった。それでも、聞きながら一枚の図面を完成させ、会社の人には喜んでもらえた。

一ヶ月ほど経過したある日、いきなり現場をやってほしいと頼まれる。
恐ろしい、私はなにも知らんぞ。だれかがチーフとしていてわたしがサブ的な役割で現場をやるならまだ理解できるが、入社一ヶ月の新人にいきなり現場を任せるのは、無謀である、無茶振りもいいとこだ。
「辞めます」と言いそうになったが、大学卒で勤めた会社の上司の言葉。「会社を辞めると辞め癖がついて長く仕事が続かなくなるよ」
が頭をよぎった、首を縦にふってしまう。

人生初の照明工事
高校は電気科、大学は電子工学、そして消火器会社では、電子回路の開発の仕事に就いていたので、電気的なスキルだけはある程度はある。と思ったので、首を縦に振ったのだ、やるからにはとことんやる、人が驚くような照明設備を作りたい。頼まれた時の恐怖感は消え、ワクワク感に変わっていた。

いま、振り返るといきなりチーフで仕事をする機会に恵まれたことは幸運だと思っている。なぜなら上司のやり方に従う必要がないからだ。良い悪いは自分の判断とお客様や、関係する業者の出方を見ながら自分の裁量で自由にできる。一応(失礼)上司はいたが、質問しても生返事で信頼できなかった。頼りになるものがないと自分がしっかりしないといけないと思う。反面教師というがまさにこれのことだと思う。

思考錯誤と図面と現場の日々
驚いたことにその会社は、照明器具まで自社製作、いまなら照明器具は照明メーカーから買って取り付けるのが常識だが、その当時のその会社はちがっていた。

天井から吊る舞台用のスポットライトも全て図面を書き、板金図を作り、協力会社に発注し出来上がった板金を組み立てて照明器具を作った。
PSEや、電気用品取締法のことなどこのとき眼中になかった。

照明卓もオリジナル、今では照明卓は買う時代だが、当時は日本の各ベンダー(専門サービス会社)は現場のニーズにあった照明のコントローラーをオリジナルで製作して現場ごとにおさめていた。

「解らないところが、解らない」状態だった。
もう少し解りやすく言うと。
現場の工事を完成させるためにどういうことを確認したらいいかどんな問題が潜んでいるか?
どんなリスクが潜んでいるか?
が解らない状態だった。

それらを「知る」ことができれば、いや、ちょっと違う。「知る」のでなく
「感じる」そう、「痛みを感じる」ことが必要なのだ。


配線の間違いをしたら、それを現場で修復して直す必要が生じます。うまく行ってる時の数倍。いや、そのまちがった箇所を特定することからチェックするので場合によっては、想定外の時間がかかることがあります。
また、その装置が他のベンダーの装置と接続されて、大きな設備として駆動してるケースでは、一つの配線間違いでも重大な損害を出すことになる。

これが、知らなかったことによって出る「痛み」でそれを「感じる」ことで「どうしたらいいか」(対策)を考える意識が日常の業務の中で生まれることがすごく重要だ。
どうしたら痛みを感じ、それを生かすようにできるようになるか?
それは、体験がもっとも早い、そういう観点では、私は失敗の宝庫だ。いろんなことに挑戦して、いっぱい失敗し、苦い泥水をなんども飲んできた。(泥水の話はまた別で書いてみたい)
 
いまだからこんなことが言えるが、その当初はそんなことを理解できなかったし、先輩に助言されたとしても、目の前のやらないといけないことが山積みでそれどころではなかったと思う。

『知らぬが仏』は新人をフォローしてくれる先輩がいる場合。
この初現場の場合上司は多忙でフォローしてくれそうにない、細かい質問をすると、露骨にめんどくさがられた。

高校卒業時、建築設計事務所からオファーがあった。その時図面を描くのが嫌いという理由で求人内容も見ないままお断りしたが、神様のいたずらかどうか知らないが、図面漬けの日常だった。

さて、現場。
これだけ頑張ったから問題ないだろと鼻息荒く現場に向かったのは良いけれど、先方担当者と打ち合わせして、開始30秒でKO負けした。
「すいません、アンカーってなんですか?」
この質問を先方担当者にしたら、態度が変わった。
固まっている。
(こんな基礎知識もないド素人を現場によこしてどうするねん。こまったなぁ、怒ったところで解決にはならんし・・・)
と先方担当者が思ったかどうかは解らないけど。
怒りを堪えてるのか。笑いを堪えてるのか。
先方担当者は、「大人」だった。きちんと説明してくれてた。

これが、もし、私が上から目線で質問していたら。
「そんなことは、会社に帰って会社の同僚に聞いてください」
「そんなこと解らんと現場にくるな出直してこい!」
と言った答え(カウンター)が帰ってきて、その場は硬直したにちがいない。これだとうまく進むものの、うまく進まない。

現場を通じて私は人と人との接し方を身につけていくことになる。















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