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英会話の勉強が継続している理由。


挫折の構造
挫折とは、心が折れて「やーめた〜」となる状態。
その原因はやっても無駄だと思えることが原因。

今まで勉強をして来たのにも関わらず成果が実感できず、数ヶ月前にサクッとできたはずの問題が難解に感じる。
「なんにも身について無いな・・・」と自分で実感した時。こんな経験が度重なってくるとやる気がどんどん無くなってくる。
今現在もこの気持ちと隣り合わせにいる。

こんなとき、コーチングしてくれるとモチベーションが上がるかもとか。YouTubeの美味しそうな英会話の広告をついつい見てしまったりする。となりの庭の芝生は綺麗に見えるのだ。

数年前、実際、数10万はたきオンライン英会話を受けたことがある。本を何冊か出版されている先生だったので間違いないと思ったのだが、これが甘かった。募集内容とカリキュラムがかなり異なっていた。それでも文句をいわず、6ヶ月毎日2時間ほどだが勉強。我ながら頑張ったと思ったが、会話の方はあまり上達できなかった。しかし、勉強期間が終了するとアップグレードの案内も無いまま終了。事務局にコンタクトするが連絡がつかず。

というわけでオンライン英会話には苦い思い出が詰まっている。何度か無料体験を受けるが本当に言ってる通りのサービスを提供するのか疑わしい。そんな理由で最近オンライン英会話をしていない。

YOUTUBEの広告をみる。「70歳のお婆さんが1ヶ月でパラパラと会話ができるようになる。」「聞き流すだけで数ヶ月で字幕なしで外国の映画が見れるようになる。」こんな広告を見ると心が痛む。
「おまえは、3年もやってるけどまだその程度か?」と言われているように思える。ますますモチベーションが下がる。

「いつか仕事で海外の人とWEBミーティングできるようになりたい。」「ネイティブのように喋りたい」という(比較的遠い)目標を掲げていると日常の勉強の成果がそれほどでは無い場合、結果に焦りを感じてしまう。この焦りこそが自分の場合、挫折の原因だったのだ。

心の葛藤生まれるのは自分の理想と現実が離れていることと、仮想で自分と他人を比較し仮想ライバル化して未熟な自分を責めるからだ。それは裏を返すと、英語が喋れている自分がいて喋れない人に対して優越感を感じたいと心の底で思っているからだ。劣等感を武器にモチベーションを上げるのは限界がある。人によってはこの劣等感がエネルギーだと思う人もいるだろが私は無理だ。
「継続は力なり」とか昔から言ってるけど、継続しようと思って継続できればだれも苦労しない。3日坊主常習犯の私はこれまで何度か英会話の勉強を挫折してきた。今度機会があれば挫折の回数とそれにかけた金額を書いてみると恐ろしいことになると思う。

自分のペースで。自分は自分、他人は他人。
でも、ここ数年自分にちょっとした変化が。スマートフォンのアプリ。Duoligoを継続して使っている。かれこれ連続で680日続いている。飽き性の私にこのアプリは合っている。

始めた当初こんな精神的な葛藤があった。「なんでこんなことがわからないのだ?」「以前この文章がでてきたのに忘れてしまっている」同じ問題で同じような壁にぶち当たると自分の理解力の無さが情けない。いっそ勉強していなければ、「わからない」と自信を持って言えるのでは無いか。やめようか・・・もっと別の方法があるのでは?などと考えた。

継続して学習が続くようになったのはほんのちょっとしたことだった。

これから書くことは少し理解しにくいかも知れないけど・・・・

解らないことがあることは、自分が無知なことを証明している訳ではなく。これからその能力を身につける余地があることの証明と考えるようになった。

「英語がわかるようになることは楽しい。」と日々勉強の中で感じることは毎日英語を勉強するエネルギーになる。

遠い目標を追いかけると理想と現実。自分の力のなさに嫌気がさして挫折してしまいそうになるが、毎日の勉強に中で光を見つけることができたと感じている。ずっと英会話初心者だが。

いきなりフルマラソンは走れないのだ。

だからすぐにネイティブと話が出来なくても良いし。
解らなかったらそれはそれで良い、焦らず覚えればそれで良い。

いつかネイティブスピーカーと会話できればそれで良い。


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