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archive① サイモン&ガーファンクル 2009年7月11日 東京ドームライブ(2009.7,cocolog)

二人の佇まいはかつての雰囲気そのまま

まさかまたこんな日を迎えられるとは思ってもみなかった。1941年生まれ、67歳のサイモン&ガーファンクルの二人が16年ぶり3度目の日本公演を敢行、今日11日のドームにて二人のハーモニーを聴くことができた。

1960、70年代に活躍した往年のビッグアーティストを日本公演で見て、かつての面影が全くなく完全な中年のオヤジと化した姿に、愕然とすることがよくある。ところがポールとアートの佇まいを見ると、もちろんそれなりに歳を重ねた外見ではあるものの、その醸し出す雰囲気がかつての二人そのままなのには驚いてしまう。

冒頭の映像のバックに最も好きな曲「America」が流れる

開始時間を10分ほど過ぎて、場内が暗転。オープニングでビジョンに映る映像は、二人の幼い頃からの写真に、時代を揺るがした歴史的な出来事も相俟う。そして映像のバックに流れるのは、ボーカルレスの「America」だ。これだけですでに涙ぐむ。この曲は、私の最も好きなS&Gの曲なのだ。「America」は、A面で人の一生を描いた組曲的アルバム『BOOKENDS』において、その若者時代を担う曲だ。

「僕」はキャシーに、「恋人になって財産を1つにしよう」と持ちかけて、「アメリカを探しに」いく。バスの中を描いた箇所は、映画を見ているようにその情景が伝わってくる。曲の展開もドラマティックで、最後たたみ掛けるように訴えかけておいて、すっと涼しい風が吹くように引いていく。「僕」とキャシーは、自分を、真実を、探すのだが、結局見つからない。ここには、アメリカ60年代の挫折のなかで、アイデンティティ喪失に苦しむ若者が描かれていると言われる。

そして登場する二人。アートがポールを「古い友人です」と紹介する。そのまま第1曲は、「Old Friends」。私が中学生のときにアルバム『BOOKENDS』の中のこの曲を聴いたときは、震撼させられたものだった。公園のベンチにすわる二人の老人。人生あとわずかとなった老人の孤独と絶望が切々と深く伝わってくる。まだ見ることを許されていない、知らない世界の扉が開いてしまったような感覚を覚えたものだ。
いっぽう歌詞に出てくる「70歳」まであとわずかのポールとアートを見ていると、そんな負の諸々も受け入れて、なお輝いていることに、逆に勇気をもらえる気がしてくる。

広い東京ドームがスピリチュアルな空間に変わる

2曲目は、「A Hazy Shade of Winter」。ドラマ「人間・失格」の主題歌として、日本の若い世代にもS&Gを知らしめた曲だ。日本の若い聴衆向けのサービスなのだろう。
3曲目は、「I Am a Rock」。「僕は岩、だから苦痛なんか感じない」というこの曲を聴いて自分を守ることに必死だった、中学時代に思いを馳せる。

そして4曲目は、前述の「America」。原曲とはアレンジを大きく変えている。通常、自分の個人的な記憶と一体化した曲は、アレンジを変えずに聴きたいもの。ライヴで表情を変えて演奏されると、落胆することがほとんどだ。しかし、今日のライヴは、多かれ少なかれどの曲もアレンジを変えていたものの、残念な気持ちは一切起こらなかった。それは、原盤の音楽を超えた次元で、二人の声と楽曲に大いなる普遍性があるからなのだろう。

それにしても、なんという純度の高さ。二人のボーカルとポールのギター、という本当にシンプルなサウンドが、広い東京ドームをスピリチュアルな空間に変える。それは、数万人の観衆を浄化し、時代も空間も超えてどこまでも拡がっていきそうな気がしてくる。

そしてその後もS&G時代のヒット曲を続け、中間に二人のソロ曲を経て、「Bridge Over Troubled Water」で本編を終了。アンコールも「The Sounds of Silence」「The Boxer」などS&G時代のヒット曲で、ラストは陽気な「Cecilia」でクロージング。

もちろん、全盛期の声質と比較するのは酷というものだ。しかし、70歳近い年齢で数万人を感動させるパフォーマンスを繰り広げられるというのは、奇跡の為せる技だとしか言いようがない。

この日ここに立ち会えたことは、一生の宝となることだろう。


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