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キベラスラムでみた、幸せと希望の話 前編

日本を出国する前は、全く情報を知らなかったキベラスラムスタディツアー。たまたまこっちにきてからTwitterで発見し、興味をそそられ、運良く日程が近かったので参加することに。

https://x.com/chiakihayakawa0/status/1765691218866892832?s=46&t=smspnY3GlGYMbDdg6kB9-g


普通のネットにあるツアーは、銃を持った警備員がついて、3時間程度歩くだけだが、
このツアーはまず前日の17:00からレクチャーがあるらしい。

事前レクチャー

指定されたナイロビのショッピングモールのフードコートに行くと、そこには参加者が勢揃い。そして一際笑顔なツアー主催者の早川さんがいた。

明日に向けて少しだけ情報伝達があるだけかなと軽い気持ちで待っていたら、

そこで始まったのは早川さんによる、3時間以上のケニア・キベラスラムから見る世界の歴史の話だたった。

私はいきなり、この話に感銘を受けた。

歴史を話す立場が誰であるかによって、ここまで解釈が違い、ここまで思いが違うのかと思った。

日本で、学校で学んできたこととはまるで違う。早川さんの話からは、ケニアの誇りと希望と悲しみなどの感情がついた歴史が心に響いた。

人類最初の地と言われているケニア、
100年以上の歴史があるキベラスラム、
侵略され、植民地となり、奴隷となり、戦争に巻き込まれ、戦士として戦い、捨てられ。

それでも強く生きる人々。

それでも許すという考え方。

もうこの歴史の話だけで自分の考え方が破壊されることばかりだった。

(詳しい早川さんの事前レクチャーの内容は割愛します。)

そんな歴史の話に、ぼーと考えを巡らせながらその日は眠り、翌朝8時半にショッピングモールに集合して、10人程度のバンで出発。

その間、早川さんはずっと笑顔だった。こんなにラフにキベラスラムに行けるんですね。と聞くと、知らない人が行くと1発でやられるからやめてねと言われた。やっぱりスラムはスラムみたいだ。

私たちが乗ったバンが走る道が綺麗な道路だなぁと思ってみていたら、そこは最近、スラムの住宅を強制撤去して作られた道だと説明があった。

キベラは国にとって違法居住区で、政府の地図では、そこには人が住んで無い事になっている。なので高速道路を引く事になれば、住宅が強制的に薙ぎ倒され、何の保証もない。

その時は40万人ものホームレスが出たが、スラムには困っている人を歓迎する人が多く、一瞬でホームレスは居なくなったらしい。

バンは、そんな綺麗な道から、一本脇道に入って行った。そこは全く違う景色が広がっていた。

トタンで作られた家、道に流れる汚水、裸足で移動する人、腐りきったような重い臭い、カラッとした暑さと日差し。

楽しそうに会話する人、商売する人、スマホをいじる人。

多少衛生的な問題はあれど、そこにいる人々は私たちとなんら変わらない振る舞いをしていた。思ったよりも普通。

生活している人の明るさを感じた。

(※キベラスラムには200万人ほど居住者がいて、私が訪れたところが全てではありません。)

警護の紹介とマゴソスクールのダン校長先生の紹介を受けて、スラムの中を歩き始めた。

1番初めに訪れたのは、家の日陰に場所を持ち、マンダジを売っている人

道路脇で商売をする様子

小麦粉に油を少しつけてこねて伸ばし、四つに切って油で揚げるみたい。

これが美味い。本当に美味い。ピリッとした空気から美味しいもの食べて少し和やかに。

スラムの食べ物も美味しいんだと、私の中のイメージが破壊された。

美味しいマンダジ

キベラでは色んな人が起業している。200万の人口がいて、都市に近い事もあり、かなりビジネスチャンスがあるのだ。

キベラにはたくさんの起業家がいる。

道端には揚げ物、お菓子、野菜、肉、魚、果物、薬、DIY道具、家電、それを運ぶ行商人、バイクタクシー、電気整備士、さまざまな仕事、起業家がいる。

でも起業できるのはほんの資本金を用意できる人だけだ。他には、ゴミの中から鉄、プラスチックなどを拾って売る仕事をしている人もいる。

仕事を探すために街に歩いて出る人わはもいる。

その日お金を何とか稼いでみんな生きようと必死だ。

キベラスラムを一望できる場所

そんな話を聞きながら次に訪れたのは、キベラスラムを一望できる場所。そこではキベラスラムで起きる公害の話を聞いた。

特に深刻なのはゴミ問題。プラスチックゴミを処理できる場所がないため、スラム街に大量に散乱し、それが汚水と一緒に川に流れ、川を堰き止める。

川が堰き止められたら今度、逆流してくる。低い土地は水に飲み込まれ、天井まで浸水してしまうこととある。それも綺麗な水ではなく、生活排水が大量に流れ込んでくるのだ。

最悪の場合は家ごと流され、中に残された子供はそのまましに至る場合もある。

そもそもビニールというのは30年ほど前にはキベラスラムにはなかった。しかし、それが安価なものになって、先進国から流れてきたのだ。ケニアではスーパーでビニールを使うことなどを禁止されている。

衣類などもそうだ。衣類を大量に寄付しても、スラムの人にとって必要のないものはいらない。ただゴミになるだけ。現場を見て現地の人の価値を知らなければ、寄付は公害になる。

しかし、キベラスラムの人は生きていくために、自分たちの街を自分たちで良くしようという思いがある。

キベラスラムの人たちはボランティアが大好きだ。

どれだけ生活が苦しくても、時間がなくても、ゴミの撤去に行く青年がいるらしい。完全ではないが、この先少しずつ良くなっていくのだろう。


以下、長くなったので後編に続きます。

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