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「職場の優しい無関心」/うつや非定型発達者で仕事がうまくいかない人は、もう一段階本気で在宅ワークで就業することを検討してほしい

元うつ病で、一生ASDの自分にとって、在宅で働くことは必須要件であり、生命線である。

“仕事”のストレスが問題なのではなく、“職場”のストレスが手に負えないのだ。

ところが“労働”の現場たる“職場”では、仕事ができる者とできない者が組み分けられて、価値のある者とそうでない者というレッテルが貼られていく。上司だから偉いとか、発達障害だからいじめられてもしょうがないという論理や言い分が通っていく。

そこはまこと、残酷で不自然で、負荷の大きい空間である。

私もおおよそ20年そういった環境に順応してきたわけであるが、様々なきっかけにより、心がある種の潔癖性を宿してしまい、どうしても現場に復帰することができなくなってしまった。

いつまでも生活保護に頼り続けることが正しいとも思えないが、あの“職場”に戻ることだけはできないと、心底思ってしまうのも確かなのである。

“労働”に対しての疑念と不信感。

これは、うつの治療を進める中で、肥大することはないものの硬直化しているように思う。どうしてもこのわだかまりを、いずれ折り合いをつけなければならないものとして認識できない。

“労働”に対しての疑念と不信感

3年前の記事だが、当時も懸念していた通り、うつ病が良くなろうと価値観がアップデートされようと、“職場嫌い”は硬直化した。

仕事は好きだが、“同僚”がどうしようもなく好きになれない。ゆえに、その同僚と関わり合いを持たなければいけない“職場”がおぞましい。

この感覚は、わかる人にはろくに説明しなくても共感してもらえるし、わからない人にはどんなに言葉を尽くしても徒労に終わると経験で学んでいるため、詳細は省く。

私がここで強調したいことは、うつや非定型発達者で仕事がうまくいかない人は、この記事と巡り会ったのも何かの縁。もう一段階本気で在宅ワークで就業することを検討してほしい、ということだ。あなたの生きづらさの何もかにもを解決できるかはわからないが、それなりにあなたの顔をにっこりさせられる可能性もまた感じている。もし少しでも何かを検討するリソースの持ち合わせがあるのであれば、この記事を読んでいる間だけでも一考してもらえると、私は嬉しい。

人里離れた山奥の小屋の中で、月に一度やってくるふくろうだけが外界との接点、などという暮らしを手にしている人はその幸運を噛みしめながら人生を全うして欲しいが、私が読み手として想定しているのは、そうではないもっと俗な世界の住人だ。

起床してPCの電源を入れさえすれば、出社が成立することで得られるメリットはこれらだ。

  • 通勤時に不機嫌な人たちと物理的に接触しなくてもいい。

  • 同僚の誰一人とも物理的に接触しなくていい。

  • またそれらの人に、自分の不機嫌な顔を見られる心配もないから取り繕わなくていい。

社内の伝達事項の大多数がチャットで済むことのメリット。

  • 非定型発達者には優しい文章主体のコミュニケーション。

  • 口頭でのやりとり特有の、曖昧な表現や破綻した論理構造を押し付けられない。「空気を読め」という暴力的な圧力は相当に緩和される。

  • 顔を突き合わす時より言葉に乗せられてくる感情が薄まるので、暴言や心無い一言から受けるダメージが10分の1くらいで済む。

オンライン会議のメリット。

  • 不思議と不機嫌な人は少ない(いないとは言わない)。

  • 大事な会議は後で文字起こしされるか、録画されて見直せるから、自分のペースで情報を整理する時間が得やすい。

  • 雑談とかしょうもないコントに付き合う時間を最小限にできる。社風にもよるだろうが、基本的に発言する人以外はミュート設定を強いられるので、くだらない一言のためにミュート解除する人は稀だし、発言の前に一呼吸置く間が働くから、直情的な発言も抑止される。

仕事をする間、誰の監視の目からも外れられるメリット。

  • 倦怠感やめまいといった、欠勤するほどでもなく、他者への説明が難しい上、大騒ぎされたくもない体調不良に陥っても、PCの前に座っていられるなら、どんなだらしない格好をしていてもOK。

  • どうしても高性能な耳栓で遮音したい、というような、リアルなオフィスでは構築が難しい「合理的配慮」も、セルフで調整可能。

成果物で評価されることのメリット。

  • 定型発達者から見ていびつなやり方で仕事を仕上げても、要は締め切りを守ってしっかりした品質の成果物を納品すれば、誰にも文句は言われない。

もし信頼できる人が同居していて、その人も在宅している機会が多いのであれば…

  • 何かつらいことがあれば、仕事部屋を抜け出して1分以内に話を聞いてもらうこともできる。

職場では、休憩時間も関わりたくない人の話し声や姿が見えて、休憩が休憩にならないこともあるだろう。

  • 自宅なら、くだらない世間話や愚痴、噂話も全く聞こえてこないし、誰かにマウントを取られて悲しい気持ちになることもない。

つまり、あなたは仕事だけを黙々と遂行すればいい。誰かに、故意に、あるいは偶然に無自覚的に傷つけられる機会は激減する。人から“私が”どう思われるかなど気にならなくなる。相手が見ているのは、あなたではなく、あなたが納品する成果物だ。本来職場など、それ以上の意味は必要ないはずだが、そんな風には絶対にいかなくなるのは、何よりあなたが1番良くわかっているだろう。

カミュの『異邦人』という小説に、「世界の優しい無関心」という一行があるが、あなたが在宅ワークで得られるものは「職場の優しい無関心」だ。

同僚は、あなたが必要な時に必要な情報を引き出すための装置でしかない。それでいい。それがいい。

同僚などという私たちをかき乱す存在から距離を置いて、仕事が本来もたらしてくれる幸福を、私たちのようなちょっと定型ではない者たちも享受できる道があるにはあるということを示したかった。

この手のテキストでは、メリットだけではなくデメリットも紹介するのがマナーかもしれないが、あえてそれをしないで偏った記事を放流することにする。

在宅なりのデメリットも存在するが、大抵のことはメリットが眩しすぎて、デメリットが霞んでしまうことばかりだから、気になるならほかの記事やYou Tubeの動画なりを参考にすればいいだろう。

デメリットなどを気にして、在宅勤務に二の足を踏む方が、よほど人を不幸にするとさえ、私は考えている。

いますぐ、何らかの理由で精神科にお世話になっている人は、在宅で働くことを検討すべきだ。

経験者として生活保護を受けながら生きていくことの良さも知っている身だが、折り合いがつくのであれば、どこかで働いて稼いだ金で暮らすのも、当然それはそれで幸福だ。

もし“職場嫌い”な自分と折り合いがつかない、という理由だけで働くという選択肢を捨てているのであれば、それは少々もったいないと言えなくもないので、こういう記事を書いた次第だ。

もちろん“職場”なんていう地獄に一生戻らないという選択も、尊重するし共感もする。私はたまたま違う環境への糸口を見出せたので、今は生活保護を廃止して就労する道を選んだが、諸々折り合いがつかなくなったら、さっさと逃げ出して元の生活に撤退すると決めている。

そういう人間からの、気まぐれな提案である。

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