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【1月度読書感想文】手紙屋 蛍雪篇/喜多川 泰

あまりにも11月に読んだ手紙屋がよすぎて、喜多川先生作品の2冊目に手が伸びた。
”就職活動”に携わっているからなのか、とても身に染みるのです。

手紙屋 蛍雪篇
喜多川 泰

勉強の意味とはなにか?
1つの事柄に対して、どんな意味があるのか?どんな効果がありそうか?どんな学びがあるか?
それをたくさん想像できればできるほど、多くのことを得られる。

勉強=言われてるからしなければならないこと、とか 無駄なこと として結論づけるのであればもはやそこから学べることはほとんどない。

個人的にはスキル的なところももちろんあるけど、人生を豊かにするような素晴らしい学びがあると思ってます。知的好奇心、探究心みたいなものって人間が人間である以上必要である。

本能のままに生きていれば、お猿さんですらいろいろ考えてるのに、それを放棄するということは、種を残していくこととはズレていく。

子孫が自分と同じものができてはいけないのです。

俯瞰的に物事を見てきても、社会における上位層は歴史とか社会とかをたくさん知っているわけ。知らないと意思決定ができなかったり、過去から学んで未来を切り拓いていくので。

だからシンプルに物事がたくさんわかってくるとそういう人に近づいたり、そういう人とちゃんの会話ができる土台に立てるよね。わかりみ。

勉強という道具は、自分をピカピカに磨いて、昨日とは違う自分になるためにある

p78
勉強という道具を使って学力が伸びても、人から嫌われるようでは正しい使い方をしているとは言えない。自分を磨いてピカピカにするために、勉強という道具を使う。

まぁ実際自分が勉強をして磨かれたか?といわれると???がなるけど。

そもそもはやはり大学合格のためだったから。でもその裏にはやはり親が期待してくれるような子どもでいたかったというのはある。

自分のことを見てくれていない。みたいな感覚はないんだけど、勉強を頑張ってたらとりあえず褒めてくれる。

ゲームしてたり、遊んでたりしたら怒られる。ただただ単純な理由だったかもな。

昔っから褒められるのが大好きだったんだな。

承認してもらうことだけが自分を突き動かしていたんだろう。

上達する。ではなく、磨くという観点。

結構面白いかもね。実際僕も今、本を手に取って読むことは、新しいことを知ると自分の知らない扉を開けられる気がしている。

この未知との遭遇で自分が磨かれている気がする。人が読めよ!といって読んだ本なんかよりもとても一つ一つが自分の中に蓄積されていく感覚がある。

ではなんでこんな気持ちになるのか。

やってみてできた!ということ。Salesforceの資格を獲得できたあの経験だよね。

いろんな人が褒めてくれた。正直めちゃくちゃに嬉しかった。勉強というものと距離を置いてたけどまた近くに寄せたくなった。

というかは、営業や仕事の成果というものはもはや既に少し努力したりすることで褒められる次元ではなくなった。でも僕を突き動かすものは人から褒められることや必要とされることであるので、物足りなさをずっと感じていたのかも。

自分で自分をなんとか褒めていたけど、まぁちょっと自慢したくなっても自慢できなかったり(他人を下にして言わないといけないこともあったし、そういう愚痴っぽいやつということもあまり知られたくはない)

p104
自分の存在意義について
自分というものをどういう風に定義するか?

は意外と自分次第やでって言ってると思った。

あんまりこうしなきゃいけないというものはなくて、ただ自分がどういう風に使いたいから、こういう意味づけをするんやでって。

その決意をするのが、その思いを沸かせるのが難しかった気はした。

でもなんだろう。漠然と考えていく中でたどり着いた。

自分の特性、どんな思いをもっているのか、将来どうしていたいのか、過去どんな思いで意思決定してきたのか。少なくてもいいけど、いくつかあるはずなんだ。

これはいや、これはすき、これは許せない、これは最高にかっこいい

それをなんとなーく意味付けしてあげる。

何かのためにその経験があるわけじゃない

ただ後から見て意味付けたらいい

結局人生は自分の捉え方次第

これを神の啓示として捉えるもよし、

災難な人生だ、俺ってついてないと捉えてもいい

でも人は皆幸せになりたいだけなので、

プラスに捉えた方がいいし、迷ってるよりはこれだ!って決めて貫いて脇目を振らずにやるほうがよかったりする。そんなもんだよね。

p107
自分の存在理由は、いくつでもつくることができる
どんな小さな役割でもいいから、磨き始めたらちゃんとそれを完成させること。なんでもいいから一つ。
自分は◯◯の役に立っている。と心から思えるものを作る。
そうやって1つ完成したら、また別のものを作る気持ちが湧いてくる。

まぁあってるよね。うん。

共感してる。これは経験則で

絶対にやると決めたことを、最後までやり通す強い意志

p120
そんなことやって、意味があるのか、
私たちの周りにあるほとんどすべてのことは、なくても生きていけるもの。

本当に必要なものってなに?生きていける

ただ自分の人生を豊かにするためのもの、

自分を磨き続けるために必要なだけなんだよね。

楽しいからやる。それでいい

周りの意見に左右される必要はない。

講釈垂れているその人も生きることに不要なことはたくさんしているし、全てに意味があるわけじゃない。

どうせ死ぬ。本当に論理的に生きるならどうせ人は死ぬのだから死ねばいい。

後世に子孫を残すためならセックスだけしてればいい

これも極論だけどね。

でも僕の座右の銘として、人生は死ぬまでの暇つぶし。終わりは決まっている。だからあまり思い詰める必要はないと思ってる。

どうせみんな死ぬし、ほとんど自分がしたことというのは歴史に残ることもないし、間違いが正解かなんてほんと誰も気にしない。

やらなければいけないこと

どうしてもやりたいこと

に変換すること

p125
今までこの地球上に存在した人々が経験し、発見しては次の世代へと伝えてきた素晴らしい知識や知恵を、今度は自分が受け継ぎ、自分のものにすること

楽しいは決して笑えることではない

やるべきこと、やりたいこと

子供のときはほとんどがやりたいこと

大人になるとやるべきこと

最初の分け方で、得られる感情が変わる

マイナスかプラスか

追い詰められなければ動けない人間になるのは苦労する。

私たちは1日という時間を、今の自分の欲求を満たすためか、将来の自分の欲求を満たすためか

どちらかで使っている。

今の自分の行動が、果たしてどのように未来の自分に繋がっているのかを想像することが大切なのかな。

それまでやってきたことによって決まる。その時の自分にとって一番ふさわしい結果が出る。

自分の夢を実現できるまでそのやる気を持続させ、努力を続けることができる。

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