【雑談】インターネット世界に日本人が適合する理由
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この記事は、Podcast「にゃおのリテラシーを考えるラジオ」の2024年4月6日配信の書き起こしです。
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にゃおのリテラシーを考えるラジオ
読書と編集の千葉直樹です。
このチャンネルでは、読書と IT 時代の読み書きそろばんを中心に様々な話をしています。
今回のタイトルは 、
【雑談】インターネット世界に日本人が適合する理由
というものです。
ボカロ楽曲をどう捉えるか
土曜日は日頃考えていることを適当に話しています。
うちのテレビは地上波放送をほとんど見ないテレビになっています。
何度も言ってますけど本当にそうなんです。
デフォルトで見ているのはYouTubeです。
見るものは様々ですし、音楽を流しっぱなしにするのにも使っています。
CMのない世界が快適すぎて地上波放送は必要最低限しか見なくなってしまったわけですね。
見る動画には様々なものがありますが、最近は海外YouTuberのリアクション動画が多いです。
多分一日の半分くらいはテレビから英語が流れているわけです。
リアクションも様々ですが、割とよく見るのが日本の音楽に対するシンガーやボーカルコーチのリアクションです。
その中でなかなか面白い議論だなと思ったものがありました。
それは最近流行りのJ-POP、それもボーカロイド楽曲に関するものでした。
出演しているキャリアの長いボーカルコーチにとってボーカロイド楽曲は戸惑いがあるようです。
それもボーカロイド楽曲を生身の人間がボーカロイドに寄せて歌うことに対する戸惑いです。
これ、多分日本人でも不思議に思っている人の方が多いかもしれないですよね。
英語の議論を聞いていたので僕の誤解が入っているかもしれませんが、音楽や歌にテクノロジーが多分に入り込んでいることを不自然に感じているようでした。
歌は生身の人間が歌うのが自然だという感じ。
作り手が増えて質が良くなる
これ、なんとなく気持ちはわかるんです。
ちょっと観点がずれますけど、手作りにこだわりたい気持ちってよくあるでしょう?
でもこれ、たまに微妙なことがあるんですよね。
身も蓋もないですけど、手料理よりお店で買ってきたものの方が美味しいってことありますよね。
もちろん作ってくれることには感謝するけれど、正直に言うと・・・ってことないですか?
まあそこまでじゃないけれど、ファーストフードとかコンビニスイーツとかほか弁なんかもなかなかやるじゃんってことあるじゃないですか。
こういうのが絶対ダメっていう極端な人もたまにはいるでしょうけど、大体の人は十分かなと思ってたりすると思うんです。
これらのものは50年ほど前には存在しないものでした。
ほとんどの人が自分で手作りするしかなかったわけですよね。
様々な分野でテクノロジーの恩恵を受けることができるようになって、いつでもどこでもおいしいスイーツを食べられるようになったわけです。
美味しいスイーツのお店は手作りじゃないかという人もいるでしょうけど、50年前にはケーキを食べられるのは誕生日くらいだったんですよ。ほんとに。
それも、今とは比べ物にならない味のケーキをケーキ屋さんから買ってきていたのです。
比べ物にならないというのは今の方が全然美味しいという意味です。
今はそんなふうに味にこだわったスイーツを日常的に食べられるじゃないですか。
それはスイーツの作り手が増えたからできることなんですよね。
これ、様々なテクノロジーが進化した結果だと考えることができるのです。
音楽の作り手も増えている
話を歌に戻しましょう。
ボーカロイド楽曲を人間が歌うのが奇妙に感じるというのは、歌は人間が歌うものが本物という意識があるからでしょう。
僕もこれにはある程度同意します。
生身の人間が歌うライブの良さは言うまでもありませんからね。
ただし、ここにちょっとした思い込みがあります。
素晴らしい歌を歌えるのはほんの一握りだという思い込みです。
確かに数は多くないんです。
でも、インターネット以前とは明らかに状況が違います。
今はクオリティの高い音楽の流通量が昔と比べてとんでもなく多いのです。
ほんの20年ほど前まで好きな音楽をいつでも聴くためにはCDを買う必要がありました。
今はサブスクでいくらでも聴くことができます。
それだけじゃありません。SNSを使って誰でも発信ができるようになりました。
自分の歌声を直接聞いてもらうことができるのです。
もちろん認知してもらうためにやらなければならないことはたくさんあるわけですが、それを個人がやれなくもない状況になったのです。
昔は何らかのプロダクションに入る以外に方法がありませんでしたから、これはものすごく大きな変化なのですね。
なぜそんなことが可能になったのかというとテクノロジーが進化したからなのですね。
広い意味のインターネットを誰でも使えるようになったのでそういうことが可能になったのです。
昔は音楽を作ること自体が大変でした。
何が大変だったのかというと演奏するのが大変だったのです。
今はパソコンがあれば曲を作って演奏することができます。
その演奏の一部にボーカロイドを使うことができます。
昔とは比べ物にならない人数である程度まとまった音楽を作れるようになったのです。
そうやって出来上がった音楽を生の楽器で演奏したり人間が歌ったりするのって全然不自然じゃないですよね。
こうやってテクノロジーが音楽を作るハードルを下げた結果、昔は見出されなかった天才が大量に発掘されるようになったのではないかと思います。
それが今のクオリティの高い音楽があふれる状況を作りました。
量が質を凌駕する状況が作られているわけです。
テクノロジーとアートの民主化
多分、件のボーカルコーチはテクノロジーが自然の対極にあるものだと無意識に思い込んでいるのではないかと思うのですね。
だってね、今時のライブでマイクとスピーカーを使わないことなんかないじゃないですか。
これだって100年前にはなかったテクノロジーですからね。
マイクとスピーカーを使ったら本物の歌じゃないなんて言ったら、「うん、まあそういう考え方もあるかもね」って感じになりますよね。
テクノロジーの進化というのはそういうものなのでしょう。
別の言い方をすると、テクノロジーがアートを民主化しているとも言えるかもしれません。
多分日本人はこういうのが得意なのではないかと思います。
カラオケの普及は歌が上手な人を増やしましたし、TikTokをきっかけに踊る人も増えたでしょうし、美しい絵を描いてSNSに投稿する人はゴマンといるし、自分で動画を撮影して編集までして投稿する人もたくさんいる。
今はアニメーションすら個人で作ることができます。
小説を書いてる人もめっちゃたくさんいて、それが本になり、漫画になり、アニメになり、ドラマや映画になったりもします。
バズる人は一握りですがその数は昔とは比べ物になりません。
だから思うのです。
インターネットは天才の定義を変えました。
それは、候補者の母数が増えただけでなく、ポジション数も増やしたからです。
八百万の神がいることを信じる日本人にとってそれはごく自然なことなので、実はインターネットが作った世界に適合しているのは日本人かもしれないと思うのです。
過言でしょうかね(笑)
今回は、インターネット世界に日本人が適合する理由という話をしました。
今日はここまで。
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おわりに
読書と編集では IT を特別なものではなく、常識的なリテラシーとして広める活動をしています。
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今日もワクワクする日でありますように。
千葉直樹でした。
ではまた。
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