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私の独り言④昔デイサービス職員だった頃の話

約1年前までデイサービスの職員だった私の独り言。

デイサービスでは日々来所する利用者様の顔ぶれが変わる。毎日の人、週一回の人、その他…介護度や生活環境によって異なり、ケアマネジャーと事業所と本人と家族やその他関係者が相談して週の利用回数、利用曜日など様々な事を決めていく。

合わない…時々その言葉を聞く。

我慢して通って身体状態が悪くなるケースがある程実は大切な事。どんなデイサービスが合うのか一か八か掛けのような場面も。

ある利用者様の利用打診の連絡があった時の事を綴ってみたい。

その方は認知症を患っており、今までデイサービスの利用を計画し、迎えのスタッフが来たことがあるが玄関から外に出ることが出来ず結果利用出来ぬまま時間だけが過ぎていっているという方だった。

今までもダメだったけれど、もし利用出来るならどこでも良いからと家族が希望し、ケアマネジャーが我がデイサービスを”最後の砦”として選んだようだった。

家族はデイサービスなどの介護サービスを利用したい。認知症であっても、認知症であるからこそ?本人はそんなの必要ないという気持ち。大きな大きな溝があるのかもしれない。

その方の自宅に向かう。

まず挨拶。視線が合えばまずまず。

デイサービスから来たものですと自己紹介。デイサービスではご飯を用意しているからとか、お風呂が用意してあるからとか本人が気になるワードを探しながらデイサービスに足が向くように話しかける。

前情報として趣味嗜好をケアマネジャーから得ているのでカラオケがあるとかバイク乗りだった時の話を聞かせてほしいとか本人が会話に乗ってくれるような話題を話しかけながら車に乗って貰えるようにしていく。

他の利用者様の中には逆にお風呂のワードがネックになって完全に拒否される事もあったりしたのでなかなか難しい。

何が良かったのか?その時、その瞬間のお互いの気持ちがぴったりはまったとしか言いようがない。

もしかすると顔や声が安心するポイントだったかも知れないが。本人でなければわからない。介護職の経験を積んでいく事で阿吽の呼吸という表現になるが、話がはずみ利用につながる。

無理矢理ではなく…出掛けてみようかなと心を許してくれる瞬間があるように思う。

相手は経験豊富な高齢者。いくら認知症を患っていても全ての人格が変わってしまう訳ではなくプライドや信念など根本的には変わらない。逆にこだわりが強く成ることの方が多いかも知れない。

お金に苦労したり、きちんとした人が物やお金が無くなったと言ってみたり、食べ物に苦労した人が、食べ物に執着が強くなるのかも?と考えたりもした。実際は分からない。

人それぞれ人生の背景がある。その生きてきた人生を尊重した上でデイサービスに来て貰えるように声を掛けていた。

もちろん、私自身思い返しても失敗に終わった事も数多くある。本人の体調の事もあるし、家族と冷めきった関係の結果という事も。

先述の方はその日何が気に入ったのかは分からないがめでたく送迎の車に乗り、体験利用が出来た事で利用に繋がった。

しかし利用が決まったからといって、いつも毎回スムーズに来所できるかといえばそうではない。

ある日先述の利用者様宅にいつもの様に迎えにいくと支度の為派遣されているヘルパーさん、家族が「全く動いてくれなくて、今日は無理そうです。」と困り顔。念のためご本人の顔を見にご自宅の中に上がる。目をつり上げたご本人がパジャマのまま食卓にあるイスに座っている。挨拶すると何とか視線が合う。何とかいけるかもしれない。が、次の迎えるべき方々を待たせている為、もう一度30分後に伺う事に。事業所にも乗せれなかった事を連絡し、他の方の迎えに行く。

家族はデイサービスに行ってくれるようになったことで、やらなければならなかった事が出来、ほっとする時間も取れる。言葉の端々に漏れて聞こえる。ご本人は元々喜んで行く事が決まったかたでは無かったので当たり前の反応でもある。しかし少しずつ他者との関わりを持つことで、表情が明るくなっていっている事も確かだ。

予定していた利用者様の迎えが無事に終わり、改めて先述の利用者様宅へ。

もう一度ご自宅の中へ入るが、残念ながら先ほどと全く変わらぬ状態で座っている。隣に行き名前を呼ぶと、「私の名前を知っているのか?」と一瞬表情が柔らかくなった。こちらに興味を持ってくれた。ご本人から聞いていた情報を思い出しながら旅行、バイク、カラオケなどあれこれと話題をふる。「そうそう!私の好きだった事をよく知ってるね」と少しだけ心を開いてくれているようだ。同時に背中をゆっくりさするように触れると冷たく硬い。何度も何度もさすってみる。人の体温を感じ気持ちが少しずつほぐれていったのかも知れない。「立ってみて貰えませんか?」との声かけに「立てるよ!」すっと立ち上がってくれた。

それーっ今のうちと、そこにいる皆であっという間に着替えさせ玄関へ。そこからはスムーズだった。無事にデイサービスに向かうことが出来た。

そんな事もあったなぁ。懐かしいなぁ。介護の仕事はやっぱり好きだった。 

デイサービスはご本人の今の生活を豊かにするお手伝いが出来るように思って日々を送っていた。

そして明日はいつも来る訳ではないこと、必ずいつの日にかお別れする日が来ることも教わった。       

今は日常に母の介護がある。無理せず穏やかな1日を送ることが出来ればそれでいい。

相手の心に寄り添い居心地の良い空間、職場としても、利用者様にとっても、送迎時も、デイサービスの中でも。そこにいる人、皆の暖かい思いが認知症の本人、家族の生活を支える。どこの事業所もきっとそうだろう。

時折ニュースになる施設での虐待。

悲しい。

でもほとんどの介護に携わる人々達は頑張っている。物凄く頑張っている。

私の生活はあなた方のお陰でなりたっています。本当にありがとうございます。

またこれからも私が感じている色々なことを書いていきたいと思います。覗いて頂きありがとうございます。

また次に書けた時に読んでいただければ嬉しいです。

今日1日良い日でありますように。