国家宗教は生存戦略と大衆支配が本質 現象学的の観点から見た神とは?

イスラムの話をしている人がいて
イスラムってバッキバキの国家宗教から始まってるから
政治学の原理原則通りの教義だったりする

ある種、文化人類学的に原則通りというか
政治哲学的にスマートというか
すごく真面目な宗教がイスラム教

東欧のキリスト教が正教なのは環境的要因
カトリックやプロテスタントのような日和った教義じゃ保たない
だから、国家ごとにカスタマイズ
そう考えると、宗教ってすごく地域密着

国家宗教は支配と運営が目的だから、教義も目的通りになる
実に、合理的な教義となるのが国家宗教

ここでもすごく味気のない分析をしてるわい
無神論者なのかもしれない…

わい「死体にあっても意味がない」←無神論者の極み
曹操もここまでドライじゃない気がする

わい「私が神である」←とんでもないこと言い始めた
とはいえ、現象学的な世界観では世界を形成するのは自己認識
世界を認識する知覚の束が世界を形成するんだから
自分が認識している世界を形成しているのは自分となる
故に、世界を形成する自分は神である
という論理展開はありうる話で

なんか、法的三段論法みたい

結局、宗教的儀式って生者のためのもので
どう折り合いをつけるか次第で、付き合い方も変わってくる

夜のお墓で散歩してたこともあった

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