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ささやかな祈りと抵抗

昼。12時。
大勢の人で賑わう職場の食堂は一般の人もよく利用していて、その日も高齢の女性2人組と相席になった。食堂の使い方を教えてあげたのがきっかけで少しずつ話が広がっていくと、女性が震災前に住んでいた場所が、今は亡き祖母の家の近所だということがわかった。津波により壊滅的な被害を受けたそこは復旧工事が完了し、懐かしい面影はかさ増しして新しくなった道路に埋もれてしまっている。

「昔の住所ももう忘れてしまいそうだわ」

寂しそうに笑ったその表情に胸が痛んだのと同時に、自分も昔の家の住所を忘れてしまってないかと不安になった。えっと、と無理矢理頭を動かして思い出してみる。一瞬のタイムラグはあったけどなんとか思い出せたあの住所。危うく完全に忘れてしまうところだった。
忘れてしまうことで、帰り道がわからなくて二度と戻れなくなってしまうようで、怖かった。

そこから少し時が経って、私は東京にいた。
ひょんなことから急遽ラジオに出ることになったのだ。
誘ってくれたのは、10代の頃から聴いてるラジオ番組のパーソナリティーの人。当時からとてもお世話になっているけど、特に震災直後はなにかと助けてくださった。
会話は私の地元の話に移る。「震災からもう少しで9年経つけど、地元はどんな感じ?」と。
震災遺構における課題とかを話したけれど、それらについてはっきりと答えられなかった自分に内心かなりショックを受けた。
現地で生活しているのに、何を見ていたのだろう。
現地で生活しているから知っていて当然だと思っていたのに、それらは今私の中で勝手な思い込みに変わってしまった。
外部の人間に対して「何も知らないくせに」と言っていた本人が、何も知らなかった。
むしろ知らなかったというより、知ろうとすることを辞めたのかもしれない。
これ以上苦しまないように。自分を守る為に。

昨年、Reborn-Art Festival2019に参加し、作品を制作・発表したことで長年苦しんでいた"震災という呪い''から解放された。(『1/142,934』)
作品を作ってから津波の夢を見ることも、震災の瞬間がフラッシュバックすることも、今のところない。
幾分軽くなった足取りでようやく自分の人生を歩めている気がしている。
毎年3月11日が近づくにつれてしんどくなっていたメンタルも、今年は不思議とそこまでそうはならなかった(別の問題で苦しんでいるけど)。
ただ、呪いから解放された代わりに、急激に自分の中での震災の記憶が薄れている感覚がした。
完全には忘れられないし、忘れてもいけないとも思う。
けれど、呪いのように震災の記憶や苦しみが色濃く残ってしまうのなら、忘れさせてほしい、楽にさせてほしいと願うのかもしれない。
忘れてしまうことは、すべてが悪ではないと思う。

なんて考えも、呪いから解放されたことも、この街に住んでいる限りはきっとあまり話せないだろう。
今もまだ苦しんでいる人もいる。壮絶な体験をした人もいる。
本当のことは、まだ話せない。
話せた時に、ようやく完全に楽になれるかもしれない。


3月11日も普段通りの日常を、と頭で考えるけど相変わらずどう過ごせばいいのかわからない。
平静を装って仕事に努めるけど正直泣きそうになるし部屋にこもっていたいし、早退しようかと考えたけれど、踏みとどまった。
今日という日を普段通りに過ごすことが、ささやかな祈りとあの日に対する抵抗になると信じて。


9年。私は今日も生きている。

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