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続・響いていけ、どこまでも

朝、目が覚めて、まだ覚醒しきっていない頭のままいつもの癖でTwitterを開く。ぼんやりしている視界に、ひとつのツイートが飛び込んできた。

一気に目が覚めた。

「えっ、あの源さんが」と驚くのと同時に「あぁ、そっか、そうだよな」とすんなり納得した自分もいた。

納得したのはここで説明する必要もないくらい、すでに源さんは名が知られた人気者であること、今回のワールド・ツアーで再び共演するマーク・ロンソンなど海外のアーティストと交流する機会がこれまであったからである。

また、最新曲『POP VIRUS』のミュージックビデオには英語訳と中国語訳があったらしい。

ドームツアーも大盛況で完走するなど、これだけの活躍をしていれば、海外でライブすること・ワールド・ツアーを行うのは必然的であり時間の問題だったのかもしれない。

そのことに今更ながら気づいたことや「あの源さんが」と驚いたのは、おそらく私の中で数多くある源さんの思い出の中で、多感な時期に聴いていた頃の思い出が今も中心に留まり続けているからなのかもしれない、と思った。

様々なメディアを通して最新の源さんを知っていても、最新の曲達を聴いても、私の中の「源さん」はSAKEROCK後期〜『STRANGER』のイメージや思い出のままなのだろう。


別に「あの頃が良かった」と言いたいわけではない。

人生において印象深い時期に聴いていた曲がいつまでも強く心に残るのは自然なことで、その中に源さんの音楽があったのだ。私の中の「源さん」はその時期のイメージが色濃く残っている。

むしろ、時代の変遷が激しい中、音楽でも俳優業でも、時代の流れを面白がるように進化し続けている源さんを見るのがとても嬉しい。

以前、私はnoteでこんな記事を書いた。

教室の片隅で一人ウォークマンで『ばらばら』を聴こうとも、国語の授業でSAKEROCKの曲をモチーフにした物語を書こうとも、友達も先生も口を揃えて「星野源って誰?」と言っていたあの頃。

あの頃は聞こえることもなかった「あ、知ってる」の一言が沢山返ってくるようになった。二言目には「良いよね」という声も付いてくるようになった。「誰?」は長い時を経てようやく"過去"になった。


私はというと、源さんの活動をリアルタイムで追えなくなっていた。

『逃げ恥』もまともに観れていない。『POP VIRUS』もまだ聴けていない。

ANNはたまにタイムフリーで聴いたりするけれど。

ライブなんか、最後に観に行ったのは『STRANGER IN BUDOUKAN』。それっきりだ。

好きでも活動を追えなくことを身をもって知った。


源さんは源さんで活躍している。頑張っている。

私も私で自分の生活をなんとかやっている。

同じ方向を並走していたはずなのに、地味に別の方向を向き始め、二つの距離は時間の経過とともに開いてしまっていた。

こんな人間が"源さんのファン"を名乗っていいものか正直自信はないけれど、今も変わらず源さんの音楽に、活躍に元気をもらっている。

他のバンドのファンに向かって「好きだった当時から距離が離れた人にこそ今の楽曲を聴いてほしい」と思うことが時々あるけれど、現在の源さんの活躍を目の当たりにした時にその言葉が初めて自分に向けられた気がした。

サブスクが解禁した今、ようやく『POP VIRUS』を聴こうとしている。

今、あなたの音楽はどんな風に聴こえるんだろうか。


人はみんな変わる。変わらないというけれど、時は絶え間なく刻まれていく。

あの頃を、現在を、肯定してくれる存在に出会えて幸せだと長い時間をかけてしみじみ思った。


未来は予想を越えていく。

だから、星野源の音楽よ、どこまでも響いていけ。





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