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小説 ねこ世界26

お祭り会場の混雑をかき分けて主催者テントに近づくと長テーブルにお弁当が積み上げられているのが見えた。
黒ねこはミケに「お弁当だ!」と笑いかけた。ミケもつられて黒ねこに笑いかえした。笑顔というのは心をほどく。
見ず知らずの黒ねこだったがミケは親しみを感じた。
普段、ミケの親は怒った時くらいしかミケに話しかけてこない。
誰かと言葉を交わすことがこんなに心を楽しくさせるのだと、ミケは思う。
無視しないで。私に気づいて。私の声を聴いて。こねこの小さな願い。
それは誠に小さくか細く、この世の片隅で毎日火を灯していた。
主催者テントでてんてこ舞いでお弁当を配っていたのは、ミケにチラシをくれたお兄さんだった。お兄さんはすぐミケに気づいた。
「あっ。ミケちゃん!来てくれたんだね!」
お兄さんは汗だくになりながら言った。
「そちらはご家族かい?」とミケの隣の黒ねこに目を向けた。
「いんや、おれは入口で一緒になった者だよ。お弁当を貰いにきたんだよなあ」
黒ねこは言った。
ミケもうん、とうなずいた。
「ああ、よかった。ささ、お弁当はね、幕の内弁当なんですよ。いやあ、直前になって手伝いの者が来れなくなっちゃて、配り作業が僕ひとりなんですよ」
お兄さんは困った顔をした。
「ふーん」
と黒ねこはあくまでも人ごとなので適当な返事をした。ミケもお兄さん大変だな、とぼんやり思った。
「それで、お弁当配るの手伝ってくれませんか。僕もうだめなんですよ。1度にいろんな事すると頭がとっ散らかるんで。手伝ってくれたら焼きそばおごりますよ」
お兄さんは黒ねことミケに向かって言った。
「そんな事いわれてもな」
黒ねこは渋い顔をした。ミケも無理、と思った。しかしお兄さんは諦めない。
「焼きそばの他に綿あめもおごりますよ。それからカップラーメンも差し上げますから」
綿あめとカップラーメンと聞いて黒ねこは耳をぴくりと動かした。
「カップラーメンか…」
黒ねこがつぶやくとお兄さんは、
「焼きそば!綿あめ!カップラーメン!」
とまた言った。
ミケは綿あめというものを食べたことがなかったので気になった。
「そうするとお弁当、焼きそば、綿あめ、カップラーメンが貰えるんだな。お弁当配りを手伝うと」
黒ねこはお兄さんに念押しのように言った。
「はい、はいはい。はい!」
お兄さんは高速でうなづいた。
黒ねこはミケを見て、
「さ、やるか」と言った。
ミケはその流れで黒ねこと一緒にお弁当配りをやることになった。
お兄さんは一通りのやり方を説明する。
「お弁当はチラシと交換だから、必ずチラシと引き換えにして下さい。手ぶらのねこには申し訳ありません。チラシと交換なのでチラシをお持ちでないと差し上げられないのです。と断って下さい」
「え、え〜と。お弁当は、チラシ。チラシとこ、う、か、ん…」
黒ねこは復唱しようとしたが覚えきれない。
ミケは「お弁当はチラシと交換なので…うんと…チラシがないと差し上げられません」と言った。それを聞いた黒ねこはミケの頭をワシワシ撫でた。
「おお〜。賢いな!こねこは脳みそが若いだけあって物覚えがいい。よし、よし」
ミケは黒ねこに褒められて嬉しくなった。

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