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小説 ねこ世界30

朝の食卓で、スミレはうつむいている。
「ママどこいった?」とミケとダンに訊ねたきり黙ってしまった。
目の前にはご飯とあさりのみそ汁と卵焼きがほかほか湯気を立てていたが、スミレは食べようとしなかった。
隣の椅子に腰掛けたウリはむしゃむしゃご飯を食べている。
ウリとスミレを見比べてミケはため息をついた。
「やっぱりママが恋しいよね…」
ミケの声が沈む。
「うん…。ねぇスミレちゃんのママの名前はなんていうの?」
ダンがスミレに訊いた。スミレはダンをじっと見つめた。
「ママ…ママはアヤメ」
ぽつりとスミレは言った。
「わ、聞いた?アヤメさんだよ。アヤメさん」
ダンはミケを見た。
「そっか…アヤメ…そういえばそんな名前だった気がする」
ミケも記憶をたぐりながら言う。
「スミレちゃん。とにかく朝ご飯食べようか。お腹空いてない?おいしいよ卵焼き」
ダンがスミレを促した。
「スミレちゃん。卵焼き食べな。おいしいよ」とウリも言った。
「ほら、スミレちゃん食べないと卵焼きなくなっちゃうよ」
ウリが口をもぐもぐさせる。ウリの顔をじっと見つめたスミレはお腹に手をやった。
「ご飯、食べる」
と言うとスミレはやっとご飯を食べ出した。
ホッとしたミケとダンも箸を取る。
炊きたてのつやつやご飯にあさりの旨味たっぷりのみそ汁には三つ葉が散らしてあって、いい香りだ。
それに甘い卵焼き。
ダンの卵焼きは本当においしい。
砂糖と醤油と少しのかつおの顆粒出しに味の素で味付けしている。
ミケはパリパリの焼き海苔に醤油をつけてご飯を包んで食べる。
朝から力がみなぎりそうな滋味あるご飯だ。
「私、がんばるわ。飯食ったら元気が出た。職場に行ったら所長に相談してみる。あのおっさんはしょぼくれてるけど、いざという時、役に立つから」
ミケは鼻息荒く言った。
「元気が出たならよかった。俺はスミレちゃんがいた公園に行ってみるよ。もしかしたらアヤメさんの足取りがわかるかもしれないし、アヤメさんを見かけたねこがいるかもしれないから」
「こねこ二匹連れてくの?」
「ほっとけないからね。大丈夫だよ。二匹とも聞き分けがいいから」
「あなたの職場は急に休んで文句言わなかった?」
「言うわけないさ〜。みんなおっとりしたねこばっかだもん」
「それならよかったわ…。私も今日は早めに帰ってくるから」
ミケは力んで言った。
こういうのは災難というのだろうか?
アヤメが見つからなかったらどうしよう。
血の繋がりのある親子としてスミレと暮らすことになるのだろうか?
ミケはモヤモヤ考えながら通勤路を歩いた。でもスミレにとっては生まれてからずっと一緒に暮らしたアヤメが母親なのだろう。スミレの「ママ」という声が耳の中に残っている。ウリ一匹だけでも面倒見るのに苛立つことが多いミケは気分が沈んできた。
自分には母性というものがないのだろうか。母性がないわけではないが薄いのか。
それとも両親から愛情をかけられなかったのでこねこを愛することができないのだろうか。いや、ウリは可愛い。自分は精一杯自分なりの愛情をかけている。ただ毎日余裕がないだけだ。ミケは目を上げた。遠く薄ぼんやりとした空が広がっていた。

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