2012年発症

カウンセリングを受けていた時に、まずは生い立ちから現在までを話します。

中学3年の公立受験の前日にいきなり母が倒れ、受験翌日にこの世を去りました。
くそ親父は意気消沈、タコ姉は泣いてばかり。その様子を見て、僕は泣けませんでした。大好きだった母なのに何故なんだと思いましたが、泣けないと言うより、泣いている場合じゃないと感じていました。

くそ親父とタコ姉と僕の三人になった家族は、母の生きていた頃の生活状況とは違い、くそ親父とタコ姉は身勝手な事ばかり。
くそ親父は真面目で厳しい会社の役員、タコ姉は高校3年で全国大会出場レベルの剣道部、僕は高校1年で弱小ラグビー部。
くそ親父は夜遅く朝早く家事は何もせず。
タコ姉も同様。
こういう状況で部活後に僕がやる事
・掃除全般
・生活の為の買い物全般
・僕とタコ姉の晩飯の支度
・くそ親父の晩酌のつまみの支度
・洗濯(干す時間が無いので洗濯後、真夜中のコインランドリーへ)
こんな状況。
まだ小僧だからなのかストレスとか感じていたのかは、わかりません。唯一楽しかったのは、真夜中のコインランドリー中に友達を呼んで、バイクで遊んだり、自販機のところで話し込んだり。
そんな毎日だったから、高校へは午後出勤。
それでも友達と遊んでいる時間が、その時の生活の心の支えであったのは、今でも心に刻まれている。

翌年、くそ親父が再婚。
タコ姉はヒステリックになりながら反対。僕はくそ親父の人生なんだからお好きにどうぞという感じ。
再婚した母には連れ子が3人。一気に弟2人と妹1人。ある意味賑やかになったし、1人長男だった僕に弟妹が出来たのは嬉しかった。今でも弟2人とは年に数回逢う。
家族が増えたからなのか、自分の城が欲しかったのか、単なる見栄っ張りなのか、くそ親父は家を買い地元を離れ引越し。

しかしタコ姉は家を出て一人暮らしを始めた。

くそ親父は相変わらず厳しく、再婚した母がポンコツだったので余計にガミガミうるさく、厳格で偉大な世帯主を主張したかったのか、怒号が家中に響き渡る毎日。そんな家に帰ってきて飯と言えば
どんぶりに

納豆と卵

がたっぷり。これが晩飯のおかず。
くそ親父は

刺身や小鉢の数々。


翌日は

キャベツと卵を炒めたもの。塩味。

これが晩飯のおかず。
くそ親父は

焼き魚や小鉢の数々。


家庭内差別。ヒエラルキー丸出し。
ポンコツ母の晩飯で喜んだ記憶が無い。

晩飯食った後は、あてもなく外へ。地元じゃないから友達も呼べない公園で一服する日々。

朝はポンコツ母が、一応弁当を作ってくれていたのだが、学校に行き早弁。おかずは

キャベツと卵を炒めたもの。塩味。

学食で友達からうどんを奢られる高校2年。



今日はここまで。


【今日の一福】
15時まで目が覚めない日は何もしたくない、なんて思わないで生きていられる。
少しづつだけど前に進めて行けてるんだ。

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