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人生整理 パターン編

あまり明るい話ではないですが、2ついきなり引用したいと思います。

1.ゲーテは躁鬱病で、躁と鬱を7年おきに繰り返していた。

2.詐欺師が狙うのは哲学や多言語ができる人(個人的に意外)、理由は現状の生活に不満を持つ人が学習者に多いから。知識をつけて話があえばその不満や不安に漬け込みやすい。

なるほどと思うことばかり
私自身、波のある暮らしだったとは思います。

更に関係ない話ですが、私の幼なじみのTwitterのバイオグラフィーには、ワンオブゼム(one of them )になり下がるなと書いてあります。これわかる人にはわかると思うんですけれども、今の櫻坂46が欅坂46だった頃のサイレントマジョリティーの歌詞の1節です。
あーこの子欅坂のファンなのかなと言うふうに思っていたんですけれども、(まぁ実際そうなのかもしれないけど)、
私的にはこの、ワンオブゼムに成り下がるなというのが自分の人生においてすごく根幹の部分になっているなぁとに思ってます。

その子とはもう長くて、20年とかなんですけれども、なんかおんなじような進路を歩もうとしてたんですね。
あ、全然同じ学校とかでは無いんですけど、
勉強頑張ろうみたいなそういう進路だったと。
なので抱く感想とかも似てるのかもしれないなぁって思っています。

何が言いたいかと言うと、やはり自分が、優等生ルートを歩めば歩むほど個性が潰れていくと感じ、やはりなくなっていくのは没個性的だなぁっていうのを感じました。
理由はその優等生というものが何か言われたことをすると、素直に遂行できる能力だったり、そういうところが良いポイントや美徳とされているからだと思います。

だから結局減点法になっていくんですよね。
そもそも個性ってのも別にあってもいいけど、そのなんか評価にならないと言うか、例えるなら、夏休みの宿題で作文せっかく書いたのにそれは成績に入りません、て言われている気分なんですよ。

優等生目指してるんだったら、もし成績に入る課題をやったほうがいいですね。例えば環境ポスターを書いたら、成績に入るのであれば、成績に入らない作文よりそっちをやったほうがいいと。
でも結局それって言いなりになってんですね。

その意味で、結局似たような人たちが集まるんですね。言いなりになるとか、そういうことの是非は私はこいいとも悪いとも好きでも嫌いでもないという感じなんですけど。
ただみたいな人たちが集まると何と言うか、そのなんだろ埋もれちゃうんですね。
この点、私が問題視している箇所で。

別に目立つ必要は無いんですけど、何か話聞いてもらえなくなったりとかそういうことがすごい起こってしまうんですよ。

だし似たような人たちの中で個性もそんなに推奨されてないんだから、没個性的になっていく中でののわずかな違い、最新iPhoneのカメラみたいな程度の違いですよね。いや大幅に何が違うかと言われるとちょっとわからないけどみたいな。そーゆーわずかな違いで何か扱いの差とか不公平とかが起こってくるんですよ。

私が不満に思ってるのはそういうポイントで、公平にはできないんだったら、没個性的にするのはやめましょうよと思ってしまうんですね。

表現悪いけど、せっかく言うこと聞いてるのに馬鹿を見る層がいる犠牲になる層がいるということなんですよ。

では、就職活動とか、でも結局なんかみんな似たようなその中から選ばれるわけだから、話がうまい人とか、そういう人が勝っていくわけですね。

色々信じて言うこと聞いてきたのに、結局似たような人たちがたくさんいて、ワンオブゼムに成り下がるからこそ、その効果が発揮できないとか宝をもち腐れているというか、
私としては、何かそういう部分がすごくもったいないというか、もどかしく感じていたと思っています。

私、オーケストラ部にいたんですけど、オーケストラって演劇とか近くではなく聴覚ですよね。

例えば100人で弾いていて、それが1人減って99になったところで、仮に目隠しをしていたら、今99になったと言うふうにわかる人って多分ほとんどいないんですよね。
だからこそ、まぁ多少ミスをしてもカバーできたり、今自分がいなくてもそこまで倒れる死ぬみたいなことはない点がよく働くこともあるんですけど、一方でまぁいなくてもそこまで問題がないっていうことが何を示しているんでしたっけって話なんですね。

ここでもみたいな人たちがたくさんいて埋もれるんですよ。
話聞いてもらえなかったりするんだから
私が徹底的に5年間やってきたことっていうのは
もう”いかに不利にならないようにするか”って言うことを頭を使って考えるということです。
いばろうとか出し抜こうとか偉くなりたいとか勝ちたいとかではなくて、徹底して不利にならないようにするって言う、まぁどっちかと消去法っていう感じですかね。

幸せになるってどういうことかってなったときに、不幸せな要素を取り除いていくって言う発想を私はするんですけどまぁそういう感じです。

頭を使ってってのは自分だけ自分さえよければそれでいいとかそういうことじゃなくて、皆さんの損を最小限に、皆さんの不利な状況を最小限にするということです。

その辺のカルキュレートというか、計算ができないと生きていけないなぁっていうのを感じたし、の場合によってはもう線引き割り切りというか多少冷たくてもここからは無理です、とかさいあく申し訳ないけどどいてもらうじゃないけどそういったことも必要だなぁっていうのは感じてきました。

今他の加減とか線引きがわからないと、割と困ると思うので、早めに実践しておいて損はなかったな訓練しておいて良かったなぁと素直に思います。

だからこれからもちょっと話を拡大させすぎかもしれないんですけど、私に言わせればもう笑顔が見たい人なんてごまんといるんですよ。
いやその辺の電車に乗り合わせた人だって悲しんでるか笑顔だったら笑顔のほうがいいわけですよ。

いわんや普段関わりがある人はもちろんそうで、だって不機嫌な時、どういうトラブルが起こるかどうかがほんとにわからないので。

私がこれから関わっていきたい人の定義は、悲しい顔やなんか泣いてるところ、あまり見たくないなぁと思う人なんですね。
いや
笑顔になって欲しい人はほんともうよほど嫌いな人以外ほとんどって感じなんですけど、(最大多数の最大幸福功利主義なので)反対に、似た話でいるようで、悲しんでいるところを見たくない人ってほとんどいないんですね。
私だって悲しい時ってあるので、それをみんなもあるよねって言う話で何か自分ごと化できないというか余計なこと飛び火してもいやなので。

それ飛び火してもいい位面倒見たくなる人や気にかかる人や助けてあげたいなとか何か支えになりたいなぁ。
せめて位思う人ってまぁほとんどいないですね。
なのでまずそこ(大切にしたい人)の定義ができているかどうかって言うところが自己理解できてるかできてないかの違いだと思うので。

要は私、これに限らず、全体的に発想が消去法なんですね。
またこれ話それるんですけど、
いちど他の人に無敵ってなんだろう。最強ってなんだろうみたいな話をしたことがあって。
無敵って、みんなに勝つイメージだけど敵がいないということなので、単純に敵がいなければ無敵ですって言われて。
全体的に無敵って言うと打ち負かすイメージがあるじゃないですか。勝ちまくる見たいな。いやそうじゃなくて単純に敵がいなければ無敵なんですよって言うふうに言って言っています。
すごく当たり前なんですけど、すごく納得したて言う。まぁこれも消去法ですね。発想でいうと。

無駄だなと思っていた部活動も、2つの事、
1.公私を分けること。
2常にいかに不利にならないようにするかを考えること
を徹底するするきっかけや、れっきとした根拠になれてよかったなぁという感じです。

要は私の中ですごく意外だったのですが、最初にあげたワンオブゼムになり下がるなというのがすごく人生においては通底した価値観というか、自分が大事大切にしている点でしたと。

繰り返しになってしまいますが、理由は、部活動の経験と自分が消去法的な考え方をするので。

これが、自分の勝ちパターンとして定着させていきたいなと思ってます。

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